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〔1〕
早朝、卓司は置き手紙をして沙也加のマンションを出る。『顔を見ると別れが辛くなるから』という沙也加の願いからであった。
東京に帰る前に危険は承知だがもう一度『青戸ビル』を訪ねてみようと思い、そちらの方へ向かって歩いていた。
「…(今日も暑くなりそうだ)」
午前10時というのに、日差しは強く、風もないのも手伝って紺野は既に額にうっすらと汗を掻いている。
『青戸ビル』はすぐに分かった。沙也加のマンションから距離にして200メートルもない。
この前は夜だったのではっきりしなかったが、外壁は薄い青色、12階建てのやや古い中規模のビル。そして、エレベーターで6階迄上る。602号室のあの女性に聞けば何かの手掛かりが得られるかもしれない、そう思っての事だった。
602の部屋の前に立つが、電気が点いていない。部屋番号の下の銀色のプレートにはこの前見た『銀星』の文字がない、というか白紙である。
「…(えっ、どういう事? なぜ蛻[もぬけ]の殻みたいに静まり返っているんだ)」
腕組みをしてあれやこれや考えているところに、この階の者と思(おぼ)しき人物が卓司の側を通り抜けようとする。
「あのお~~っ、済みません……」
「はいっ !?」
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