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春風にあったのはもうすぐ冬が終わる夕方の単線列車の下り方面行きだった。
その日、忘れ形見のように降った雪で授業は早めに終わり、皆が慌てて自転車や原付で帰る中、自転車に乗れない私はいつものように教室で一時間待ってから電車に乗った。
そこに春風が居た。
都会の匂いをさせて真っ赤な目をしてよれよれのパーカーを着て、端っこの席で、海を見ていた。
縮れた髪に埋まる後頭部をずっと見ていて、振り返った顔に見覚えがあったけれど、その時は分からなかった。
終点で私が降りる時に彼は一緒に降りた。
私はただ単純に興味が沸いて彼の後を着いて行ってみても、彼は同じところをぐるぐる回るだけで、傘を持たない彼は雪まみれになっていて、その姿が雪の中に消えてしまいそうで、まるで死に場所を求めて猫が歩いているようで、いたたまれなくなって、彼のパーカーの背中を掴んだ。
「ねぇ、家においでよ」
彼は私に背を向けたまま小さく頷いた。
それから振り返り私を見た顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
けれど、雪と涙が混じった顔は綺麗だった。
私の家は祖母と両親と姉の五人暮らしで皆田舎の人だから気にしない人ばかりで、彼が混じっても彼を他人のように扱わなかった。
もともと漁師町だからそんな風なのかもしれない。
その日、風呂を済ませた後、食卓の席で彼の事を一番早く気づいたのは祖母だった。
「口が利けないんだろう」
しばらく見ててから祖母が口を開いて皆が驚く中、彼は頷いた。
どこかで見た事があるよね、という話にもなって姉も母も私も、思い出せなくて、彼も困った顔をしていた。
名前は? とみんなが尋ねると電話の側のメモ帳を取ると鉛筆で『春風』と書いた。
中国人かと思ったけれど、違うらしくて、上にふりがなを『はるかぜ』と振ってくれる。
それが偽名だとみんな気づいていたけれど祖母は満足したように、じゃあ春ちゃんだねぇ、なんて言うから、それで良いってなった。
春はもうすぐ目の前にあるけれど、春風はまだ私の家にいる。
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