紅蓮の道

1/2
前へ
/2ページ
次へ

紅蓮の道

 子供の頃からよく見る夢。  見通しのいい一本道を私はじっと見つめている。すると、 道の両脇に植えられている街路樹がいっせいに色づくのだ。  母に話したら、多分それは赤ん坊の頃の記憶だろうと言われた。  私が一歳になってすぐ、ウチの家族は父の仕事の都合て引越しをしたのだが、前に住んでいた家の近くには街路樹の並木があり、秋には紅葉が色づいてとても綺麗だったらしい。  よく散歩に行ったから、その時の記憶があるのかもねと母が言う。  それ以来、何度も見続ける鮮やかな夢の影響もあって、私は紅葉というものがとても好きになった。  友達には、ちょっとおばさんくさい趣味だと言わることもあったので、あえて誰かを誘い、紅葉狩りに行こうとは思わなかった。  あくまで紅葉を見に行くのは個人の趣味。そう割り切って、友達同士の旅行とは別口で、日帰り程度の秋の遠出を楽しんだ。  そんなある日、旅行雑誌で特集された、日帰りの紅葉狩りの記事に強く引きつけられ、私は次の目的地をそこに決めた。  場所は今までのどこより遠かったけれど、住所で調べたら、そこはバスや電車の乗り継ぎがスムーズで、思う以上短時間で私はその土地に着いた。  紅葉の町並みは、写真より遥かに綺麗だった。そして、何故か妙に覚えがある印象だった。  来たことなんてない土地なのに、どうして?  湧いた疑問を前に聞いた話が潰す。  もしかしたらここは、私がまだ赤ん坊だった頃、両親と暮らしていた土地ではないのだろうか。  引越し前に住んでいた場所の地名を聞いたことはないけれど、きっとそうだ。  こんな偶然があるものなんだと、私は感慨深く周囲を眺めた。  まだ物心もつかない頃、私はここにいた。母の腕に抱かれて。あるいはベビーカーに乗せられて、この紅葉の並木を見上げて散歩した。  色いた葉っぱがたまに落ちてくる街路樹の下を歩き出す。とても綺麗でとても素敵。…でも、この違和感は何だろう。  さっきは、ここは赤ん坊の頃に散歩した場所だと、疑いもせずに思ったけれど、もしかしたら違うのだろうか。  でも、一本一本がかなり大きな街路樹が、両側から道路に張り出すように色づいた枝を伸ばすこの光景は、夢で見続けたあの景色と同じものだ。  だったらこの違和感は何なのか。  並木の果てまで行き、後ろを振り返る。そこからもう一度街路樹の道を見通す。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加