第1章

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 世の中に理不尽な事は多々存在しているが、私は君島冴歌ほど理不尽なものをおよそ知らなかった。  私が虚ろな視線で眺めている黒板に、彼女がチョークを走らせながら綺麗な文字で難解な数学の問題を解いていく。私は彼女の解答の三行目からもう理解が追いつかなくなって、ただ乱れることなくまっすぐに梳かれた黒髪が揺れるのだけを楽しんでいた。  折れてしまいそうな細い四肢、薄い唇、大きく開いた瞳。  黒板に答案を書き終え、教師に褒められてはにかむ姿も可愛らしい。頬を上気させたまま席に戻る彼女が私の席の横を通り過ぎると、ふわりと花の香りがした。  いつから彼女のことを見ていたかなど、自分のでもよく覚えていない。何故こんなにも心奪われるのかなど、自分では理解できない。  学業は常にトップクラス。運動をさせればなんでもそつなくこなし、芸術も音楽も理解がある。出来ないことなどこの世に存在しないのではないかと錯覚させるほどに彼女は万能だった。  もっと彼女を知りたい、隣を歩きたい、笑って話がしたい。  そう考えながら彼女の背中を追うだけならばただの思春期の青少年で済んだだろう。でも私はそれで満足できなかった。 「君島さんなら科学部だから、放課後は化学室にいるんじゃない?」  クラスメイトに聞き出した情報を元に、私は今日ようやく化学室を訪ねた。  それほど部活に熱心ではない私の学校で、わざわざ大会もない部に所属してまで活動をする生徒など稀も稀だった。彼女が科学部という話を聞いた時、私も科学部なんてあっただろうかと頭を捻ったほどだった。  長年の蓄積で歪んだ扉はギリギリと音を立ててゆっくりと開く。徐々に広がっていく視界の先に彼女の後ろ姿が見えた。肩幅の合わない白衣を着て、袖を少し捲り上げている。長い裾から覗く細く白い脚に思わず化学室に入るのが躊躇われた。 「誰?」  ごくりと飲み下した音が聞こえただろうか? 扉の方をはっとして振り返る。そこには隠れることも出来ず金縛りにあったように立ち尽くす私がいる。
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