再会

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私は、父方の祖母に育てられた。 家は京成船橋駅から、本町通りを大神宮に向かって十分ほど進んだ裏通りにあった。 母は私が二歳の時にガンで亡くなり、祖父も既に他界していた。 父は家具メーカーで働いていて、当時は北欧に単身赴任。だから、私はずっと祖母との二人暮らしだった。 祖母は「ナントカとテンサイは、紙一重」の人だった。 買い物に出かけると、レジに通す前にはもうキッチリ計算して、お金を出す。 帰るとすぐに、家計簿をつける。 レシートなんか見ない。 不思議なフォントで、細かくキッチリと記入し、暗算で合計を出した。 じっとしているという事のないヒトで、毎日魚市場へ働きに行き、帰ると寝る寸前まで家事をこなした。 屋根も自分で直すし、服も縫う。 これで小学校しか出てないっていうんだから、すごい。 ところがだ。 会話のキャッチボールというものが、一切できない。 言いたいことがあるときには、紙に書いて渡す。 ある日、弁当が地味なことに不満を覚えて、写真つきで、こう紙に書いた。 「こういうキレイな色のお弁当にして」 祖母はそれを読むと、すぐに出かけていった。 翌日、弁当のフタを開けてギョッとした。 あの写真が張りついてるのかと思った。 こんな、まったく同じように作れる!? 色、大きさ、形、ちょっとの狂いもない。 婆ちゃん…ロボットみたい… 家に帰って、お礼を言った。 もちろん、通じない。 さっと立ち上がり、冷蔵庫からプリンを出すとドンと私の目の前に置いた。 そして、縫いものに戻った。早い早い。 リンゴ柄の布。 きっと私のエプロンだ。 今度、学校で調理の授業があるから… こんな祖母だから、交通事故で亡くなったときも、聞かなくったって祖母の信号無視だと分かった。 泣きながら謝るドライバーさんの方が、被害者だ。
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