私に残されたものは あなたといっしょに歌った歌ひとつ

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時刻はとっくに夜の十時をまわっていて、周囲の住宅街もすっかり静まり返っている。 アパートの隣人たちも寝たか、起きていたにしても夜の静かな時間を過ごしているはずなので、私はあまり騒がしくならないよう、静かに自分の部屋の押し入れを探った。 お、あった、あった。 ボロボロのケースに収まった、古いアコースティックギター。 昔、好きだった人から譲り受けた思い出の品だ。 ……告白するまでもなく片想いで終わってしまったから、手放すことなく残してしまっていたけれど。 普段はエレキを使っているので結局、押し入れに仕舞いっ放しにしてしまっていた。 弦の様子を確認するためにケースの蓋を開けると、中には数枚の楽譜が一緒に入っていた。 「あ……」 鉛筆で繰り返し書き込んでは消した跡が残ったよれよれの楽譜。 それは、このギターをくれた人と一緒に作った、私の初めてのオリジナル曲だった。 今の目から見れば、ほころびだらけの荒削りにも程がある歌だけど。 でも、これを初めて歌った時の感動は、いまでもずっと忘れられない。 (初恋……だったな……) 楽譜を読むまでもなく、思い出のメロディが口をつく。 それとともに、伝えられずに終わってしまったかつての想いが、胸の内にあふれて心を浸した。 「……っ!?」 急に目頭が熱くなって、涙がこぼれそうになって。 私は慌てて目元を拭った。 失恋で傷ついた今の心には、初恋の想い出は、優しすぎて、温かすぎて、逆に辛い。 「よし、決めた」 私は楽譜をケースに戻して、蓋を閉めた。 これを、歌う。 海へ行って、水平線に輝く朝日に向かって、これを歌うんだ。 私の恋を、今までの分も含めて全部、海に向かって解き放とう。 「お待たせっ」 ギターケースを引っさげて、グミの待つミニに乗り込んだ。 「れっつ、ご~」 「ご~」 おんぼろミニが、エンジンを咳き込ませながら、夜の道を走り出した。 「ラジオにする? それとも何か流す?」と、グミ。 「ipodからランダムでいいよ」と、私。 グミがダッシュボードに後付けしたプレーヤーにipodを取り付けて、再生ボタンを押した。
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