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ノック
田舎の大家族で育った。
家は広かったけれど、常に二桁の人数がどこかにいて、プライバシーなんてものはない。それでもトイレだけは、ノックで使用中かどうかを確認するのが当たり前だった。
大学に通う年になり、一人暮らしを始めたけれど、長くそういう暮らしをしていたせいで、ワンルームの自分の部屋ですから、トレイに入る際はノックをしてしまっていた。
もう、癖なんだろうな。でも、出先でのノックはして当然のマナーだし、一人暮らしの家で軽くトイレのドアを叩いたところで何が悪いということもない。ただ自分が、直後に『ああ、またやった』と思うだけだ。
だから気にしていなかったのだが、その日はちょっと事情が違った。
サークルの飲み会に出て、そこそこ酔って帰宅した。帰宅途中からかなりトイレに行きたくなっていて、部屋に戻るなり直行した。その際、いつもの癖でノックをしたのだが、ああまた…と思うより先にトイレの中から応答があった。
コンコン。
…ええっと…誰?
同居人はいないし合い鍵を渡した相手もいない。その空間にどこかの誰かがいる筈もない。
空き巣でも入り込んでるのか? そう思ったけれど、わざわざ空き巣がトイレに入り、ノックに律儀に対応するだろうか。いや、でも、忍び込んで物色しようとした時に俺が帰って来て、慌ててトイレに逃げ込んだ、とかはありえるよな。
武器になりそうな物が見当たらなかったので、洗面台のヘアスプレーを手に取った、こういうのって、噴きかければ相手は怯むし、目とかに入ったらのたうちまわるから、いざという時の暴漢撃退に使えるって、TVで見た気がする。
慎重に、慎重にトイレのノブに手をかけ、回した。内開きの戸を限界まで押し込み、中を見るが、誰もいない。
ドアと壁の間には人が存在できるスペースはないし、空気抜きの窓は格子が嵌っていてここから外へ出ることはできない。
最初から誰もいなかったってことか? けど、さっきは確かにノック音が…。そう思った俺の耳に、屋外から何やら物音が響いた。
隣の部屋か、あるいは外かは判らないけれど、極めてノックに近い音がする。ということは、アレを聞き間違えたのか?
酒が入ってるからそういうこともあるだろう。とりあえず、空き巣が入ってなくてよかった。
そう深く安堵して、俺はスプレーを洗面台に戻した。
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