カウンセリング

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私も商人をやっていた頃に彼に出会いまして、その寸分たがわぬ、彼の完璧さに見惚れてしまいました。これが、これがいけないことでございました。私はヘテロではないとばかり思っていたのですが、いつの間にか彼への信仰は愛情へと転ってしまったのです。あぁ、異常だ気狂いだと仰りたいのは 解ります。それでも私は彼の奇跡の為ならば、幾ばくかの私財を投げ打って奇跡の道理を導くこともございます。時には彼のためよと思い。やむやむ村人たちから小銭をせしめる事もございます。それもコレも全ては彼への愛。 それがなせる業でございます。えぇ?それでは彼が完璧ではないとおっしゃいますか?いえいえ、そんなことはございません。彼は完璧でございます。だってカウンセラーさん。巷で彼の話をしてみてくださいませ、いかなる御業で人々を助けたのか、その伝説やなるや数えきれません。 彼を良く言う人がいれども、民衆の中で彼を悪くいうものはございません。 ほら、彼は完璧でございましょう?それだけではございません。彼には人を超える力もお持ちでいました。ある教徒が彼が湖を歩く姿を見たと言うではありませんか。えぇ?それは幻覚か何かではないかとおっしゃいますか。いやいやいや、そんなことはございません。それにとある婚礼では、水を葡萄酒に変えると言う、その御業は私の愛のなせる業、私があっての彼だと私は思っております。「何をカウンセリングすればいいのか」仰りたい気持ちはよくわかります。カウンセラーさんの仕事は私の心を癒やすためにございます。それでは本題を話させていただきましょう。ええ、先ほど申し上げをさせていただきましたように、私は彼を愛しております。これは家族愛でも友愛でもなく、純粋に男性として、男性である彼を愛してしまったのです。 どうか哀れんでくださいませ。叶うことのない恋愛、悲恋でございましょう?それでも私は彼への思いを捨て去ることはできなく、今の今までこうやってやってきております。感情は一度、愛してしまったと思った時より変わることの無く、延々と続いております。
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