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長い間の後。男はぽつりと呟いた。
「俺は、大学に行って自分よりも才能あふれる人間が沢山いる世界で潰れかけていたんだ。そんなときに息抜きに引き受けた外部講師で再会したお前の才能がただ、羨ましくなって、妬ましくなって……美しいピアノの音を奏でる初恋の女に、俺はもう一度惚れてしまったんだ」
僕は卑怯な人間だ。彼の独り言が彼女に聞こえないように、きつく抱きしめて、両手で耳を塞いだのだから。
「嫉妬する気持ちと、好きな気持ちと、俺の心の中はミキサーにかけたみたいにぐちゃぐちゃになってしまった。才能が妬ましい、欲しい。どうやったらあんなに純粋な音が出せるのか知りたい。――お前の傍にいると、俺はそんな気持ちでどんどんおかしくなってしまうと分かってしまったから、もうそばにはいられない。……今まで悪かった。元気で、な」
そして、男は僕の方を見た。
「……絶対、泣かすんじゃねえよ」
「当たり前です」
泣いている彼女を目の前に、僕はそう断言した。今回はこの男のせいで泣いているのだから、僕のせいではない。
こうして、彼女のストーカー問題は解決した。
その後、彼女は、この件があったから僕が付き合ってほしいと言ったのだとカン違いして「やだもう、私と付き合っているふりなんてしなくていいんですよ」なんて言うようになったりした。その度に僕がいかに彼女が好きか力説する羽目になって、その度に彼女はまた可愛い顔を赤くするのだ。
「本当、私の事が好きだなんて。そこがあなたの唯一の欠点だわ」
溜息を吐く彼女を、僕は嬉々として抱きしめる。
「キミの唯一の欠点は……そうだな」
「……んぐ、何」
発言できないように抱きしめて、僕は彼女に教えてあげる。
「可愛すぎるのに、他人を魅了していることに気が付かないところかな」
「……なにいってんの」
暫くして体から離してみると彼女の顔は真っ赤だった。
「そうそう、それそれ。その表情、僕の前以外でやっちゃだめだよ」
そう言って僕は彼女の反論を封じるために唇を塞いだ。柔らかくて、甘くて、美味しい彼女の唇は最高だった。
やっぱり僕にとって、彼女は欠点さえ愛しい完璧な彼女に違いない。
教室であの日のようにキスをする僕達を、見ている視線はもうなかった。
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