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チサトさんは苦しげながらも気丈に言う。
「それよりもアキ、何が起こるかわからない場所に行くんだから、ふらふらしちゃ駄目よ。冗談抜きでタツルさんにぴっとりくっついていなさい。迷子にならないようにね」
「さすがにいくらあたしでも、わけのわからない江戸時代でふらふらはしませんよ…」
わたしの弱々しい反論に構わず、彼女はきっぱりと付け加えた。
「それから、あの野郎に頼るなとは言わないけど、あいつに頼るな。当てにするんじゃないよ!」
ジュンタさんが思わずといった様子で口を挟む。
「チサト、さすがにそれ、全部こっちに聞こえてるよ…」
エレベーターが止まる瞬間の、足許にGがかかるあの感じ。江戸時代だろうがなんだろうがいつもと同じだ。
一瞬で辺りの景色が変わるこの経験も、なかなか慣れない。首を回してぐるりと見回した。夕方の光か。野外だ。
「おい、離せ」
相変わらずわたしに触れるのに神経質な先輩がパッと腕を掴んでいた手を離し、すかさずジュンタさんを小突いてそっちの手も離すよう促す。ジュンタさんは「あ」と呟いて、すぐにわたしの反対側の腕を離すと、わたしの目を見て肩を竦めた。
「ここ、東京ですか」
きょろきょろ見回してしまう。しかし見えているその景色は寒々しい刈り跡の残る田んぼ、畦道にポツポツ立ち並ぶ集落。用水路と思しき小川(今は水がほとんどない)。鎮守の森に鳥居。夕焼けの空遠くに山々の影。
ほとんど場所のヒントなし。日本中どこでもおかしくないように思えてしまう。
「江戸時代に東京があるわけないだろ。阿呆かお前」
言われると思いました。
「勿論現代で言うところの東京に相当するエリアかって聞いたんですよ。他にどんな意味があると思ったんですか」
「まぁまぁ」
やむなく仲裁に回るジュンタさん。
「見た目だけだと全然何処だかわからないよね、確かに」
「時間帯は夕方ぽいですね」
集落の方から夕飯の支度と思しき煙の筋が何本も立ち昇っているのが見える。何の先入観もなく見ると、大変に長閑な昔ながらの日本の風景だ。
本当に昔だけど。
と、のんびりした、見ようによってはもの寂しい景色に変化が現れた。集落の方から何人かの集団が固まってこちらの方へ移動してくる。何か言い争うような剣呑な空気だ。思わず身体が硬直する。
「大丈夫だ」
先輩が励ますように言う。
「向こうには見えてないって言ったろ」
わかってはいても結構怖いものだ。
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