第1章

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ひったくりに会いながらもなんとか時間通りに面接に来たことが健気だと評価されたのか、私は無事面接に受かった。 必死に働いた。見てろよ元彼。二人の将来の家庭について語っておきながら、いとも簡単に、悪びれもせず心変わりしたあいつ。依存していた私も悪かった。結婚するから派遣でいいと、自己研鑚をおこたっていた。 なにより、相手の男の本質を見抜けないまま付き合っていた私の甘さだ。過去の私の目をどくだみ茶で洗ってやりたい。 正社員になって、心から自立した女になって、残りの20代はもっと幸せになってやる。 毎朝、あの彼、インフォメーションデスクにいる近江さんに挨拶するようになった。冷静に観察すると、彼はこんな感じだ。 30代前半だろうか。高級ブランドの広告から抜け出て来たかのような、欧米系のモデルにも引けをとらないアジア系モデルといった外見。作り物でない、行き過ぎない笑顔は、爽やか。外見だけでなく仕事も出来るのは出会った日に感じたことだけど、ある日、外国人客にも何語かわからない言葉で流暢に応対していたのを見た。超高層ビルに入っているすべてを把握してないといけない職務は、一流ホテルのコンシェルジュのようなものかもしれない。 いや、観察している場合じゃない。今日こそ話しかけなければ。エントランスに人がまばらなことを確認し、私は一歩踏み出した。 「お、近江さん」 「はい。あ、これはこれは」 「あの、その・・・先日助けていただいたお礼に、お、おしょ、お食事でもいかがでしょうか」 「えっ・・・」 「あっ、と、突然困りますよね、こういうの。すみません、ほんと、ご迷惑でしたら」 「うれしいなぁ」 爽やかな笑顔と違う、いたずらな笑顔で彼はくしゃっと笑った。 心臓のバクバクが止まらない。 いまさら気づいたけど、あの時私を支えてくれた大きな手に、結婚指輪は、ない。 違う、私はただ、お礼をしたいんだ。他意はないんだから、決して。
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