第1章

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政は父のズボンのポケットをしきりに叩く。ここに政が好きな菓子がいつも入っているのを知っているからだ。 慎は頭を撫で、「お母さんには内緒だぞ」と息子の口に菓子を一粒含ませた。 そして頭には帽子、手にはスーツケースを提げ、アイロンがきちんとかかったツィードのスーツに糊がかかったシャツ、レジメンタルタイを合わせたこの上もなく粋な格好で自宅を後にした。 飛行機を乗り継いで到着した先では、東京から来た偉い先生の卵を歓待する側の気持ちが伝わった。あっという間に時間が経ち、慎が房江に予告した通りに歓迎会という名の酒席が催され、夜通し方々へ連れ回され、その晩はあてがわれた宿舎に泊まった。 明けて翌日は帰途につくはずだった飛行機が手違いで変更された。しかも経由先でも足止めを暗い、予定を大幅に上回った。乗り継ぎで待っている間はもどかしかった。これでは何の為に空路を選んだのかわからない。家族への土産すら買えずじまいだ。 次からは陸路を選ぶか? いや、時間がかかりすぎてしまう。予定を繰り上げて一家揃って引っ越すか? いやいや、まだ決まったわけではない九州への転勤は……などとあれこれ思案していた時だった。 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」 客室乗務員の挨拶に顔を上げた。 この声は。まさか。
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