第1章

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それにしても九州は遠い。陸海路より速くても数時間は狭い機内に押し込められる。見たくなくても見えてしまう彼女について、少しずつだがわかったことがあった。 彼女は高遠姓を名乗っていた。 結婚したのではなかったのか? いや、嫁いでいるのに何故働いている? 夫がいるのなら働きに出る必要もなかろうに、何故だ。彼女の夫はなにをしている、それともいないのか? 答えを求めるように見た彼女の指には、右にも左にも指輪ははめられていなかった。 パリンとガラスが割れる音が残響となって頭の中に響く。 彼女が嫁いだと彼女の兄から聞かされた日、自宅の庭に投げつけた薬瓶は粉々に砕けて池に落ちた。中入っていた赤い石がついた約束の指輪も泥にまみれた。 いつか君の薬指にはめると、彼女と交わした約束は果たされなかった。もう自分には必要ない品だ。今度、いや次に九州へ発つ時に彼女に返そう。決心したつもりなのに出かける度に忘れる。どうやって切り出す、どうやって渡す、と、下らないことが理由になって先延ばしにしたからだ。 指輪を返したくない自分に呆れた。 呆れたと言えば、茉莉花の方もだった。 彼女が所属する航空会社は、乗員を雇う条件として、頭脳明晰なのはもちろん、容姿も重要だったと聞いている。実際に空港で見かける彼女たちは、よくもこれだけの美女が日本中から掻き集めたものだと感心させられる者ばかり。神話の住人と名付けられるのもうなずけた。 才色兼備な精鋭の中にあって、彼女には美はあったが、才知の方はというと怪しかった。何とも危なっかしかった。 いや、女性ならこれくらいの方がかわいいのだ、だが、他の乗員の仕事ぶりと比較するとハラハラした。 よくとちり、躓き、物を落とし、転んだ。目も当てられない。 身体は大人だが、中身は慎が知る少女の頃のままだ。
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