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給湯室でお茶を淹れていると、肩を揺さぶられた。
機械的な仕草で横を向く。
「さっきから、何回も呼んでるんだけどぉ」
美鈴が束紗の手元をじぃっと覗きこむ。
「ねぇ、それ、わざとぉ?」
「え?」
視線を追って手元に目を遣ると、もうもうと立ちこめる湯気の中、束紗の持つケトルからは急須にお湯が注がれ続け、シンクは溢れたお茶と茶葉で水浸しになっていた。
「どこの国のお作法なのよぉ」
呆れた顔でケトルを取り上げられて、我に返る。
「火傷してなぁい?」
「うん…ごめん」
「どんな時でも、仕事だけはちゃんするタイプなのにねぇ。珍しぃ」
「失礼な。ちょっと、ぼーっとしてただけよ」
力無く笑う束紗を上目遣いに見ていた同僚の眉が、ピクンと跳ねた。
「そーゆぅの、見え透いた嘘って言ぅの」
パンッ
突然、目の前で両手を叩かれて、ビクリと肩が震える。
お陰で少し、頭が冴えた。
「わたしを誤魔化そうなんて、百万年早いんだからねぇ」
鼻息荒く、溢れたお湯の拭き上げに取りかかりながら、遠慮容赦なく断言する。
「シンパパクンと、何かあったんでしょぉ!」
感の良い彼女に嘘はつけないけど、何かあったのか、と問われたら、何もない。
ただ、出会った頃からわかっていたはずの現実を、昨日やっと目の当たりにしただけなのだから。
「何もないよ」
そう言って、排水口に流れていく茶葉を見つめる。
全てを水に流せたら、きっと、すごく楽なんだろう。
「言いたくないなら、無理にとは言わないけどぉ」
ミニチュアダックスみたいに長く口を尖らせる同僚に微笑む。
「言えるようなことがないもの。ホント、状況は何も変わってないから」
笑い顔が、徐々に歪んでいく。
「逆にね、いっつも同じだなぁって」
美鈴が手を止めて首を傾げた。
「全然、成長しないよなぁって」
「………」
「何でわたし、いつもこうなんだろうなぁって」
「束沙は、だいぶ変わったよぉ」
「そんなことないよ。未だに危機管理能力、ゼロ」
「そっち?そうねぇ。柴田クン曰く、厄介案件専門家ですからねぇ」
作り笑いは中途半端な場所で固まり、皺の入った情けない口元が非難の声を上げる。
「呆れるよね」
ズルズルとしゃがみこんで、膝を抱えた。
「範疇外の人ばっかり好きになるなんてさ」
「え?年下クン、離婚してなかったぁ?」
向かい合うようにしゃがみこんだ美鈴が訊ねる。
「してるよ」
「じゃぁ、問題ないじゃなぁい」
「そうだね、そうかもしれない」
昨日からずっと、チラチラしている。
くりくりした目の彼女と、幸せそうに笑う紘平、完璧な、三人の姿。
一晩寝たら忘れるかと思ったのだが、考えが甘かった。
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