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プロローグ
ーーそんなこと、わかってたよ
向かいのホームにいる男女を、ぼんやりと見つめる。
パンツスーツの横に添えられた封筒は、持っていることを忘れるくらい、長時間その手の中にあった。
ーー本当は、きっと最初から
電車の近づくアナウンスが流れる。
向かいの彼らは親しげに手を繋ぎ、幸せオーラをまき散らしながら腕に触れ合い、お互いの顔を覗き込んだりしている。
ゴォォという音と共に近づいてくる、滑稽なほど四角い電車の顔。
号令がかかったかのように、一斉に顔を向ける人々。
視線に気づいたのか、男の方がチラリとこちらを見た。
そして、僅かに表情を強ばらせた。
パァァァーン。
警笛が響き渡り、いそいそと白線に並ぶ人の列。
見せ物みたいに引きずられながら進む四角い顔。
そのかわいそうな鉄の塊が、向こう岸とこちらを遮る少しの瞬間、【カレ】は人のよさそうな顔でニコリと笑った。
何事もなかったかのように、あの時と同じ笑顔で。
左手に指輪を光らせて。
ーー大丈夫、だってイイ大人だから
封筒が、クシャと音を立てた。
思い出した紙の感触は、びっくりするほど不愉快なものだった。
大したことない。
まだ、全てが未遂だ。
どんなに優しくされても、一緒に映画に行っても、何度食事を共にしても、手を繋いでも、キスをされても。
【カレ】は、わたしを見ていなかった。
ただの片想い。
全然、大したことない。
電車は主役のふたりを乗せて、通り過ぎていく。
胸に、小さなトゲを置きざりにして去っていく。
「泣いてなんて、やるもんか」
生暖かい列車風の名残の中で、パンプスのかかとが虚しく鳴った。
片想いが楽しいだなんて、誰の迷言だったろう。
正直、もう、涙も出なかった。
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