第1章

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第1章

2015年12月15日 空気が澄んだように感じる寒い日に 母は 亡くなった。 悲しみに浸る間もなく、私は葬儀の手配などに追われた。 そして火葬の間は、 母の霊が旅立つのを見送りたくて 外にでた。 母の人生、思えば辛いことの方が 多かったんじゃないかと思う。 父の借金で生活苦だったうちは 食品や習い事、医療費などの為、母が働いていた。 私たち姉弟に不憫な思いをさせないために頑張っていたのだ。 私はというと金銭的に[我慢をする] そんな状況に苛立っていた。 なので反抗したり 母に八つ当たりした事も 大人になった今では 後悔している。 小学校1年生の時に、弟が生まれた。 弟が2歳の時に発達障害という診断が下され、それ以降、母は悩みながらも 療育施設を探したり、勉強したりした。 弟は、母や私に対して 暴力を振るう事もあり、母はその度に私を守った。 私が 弟に暴言を吐いた時は、 逆に叱られる時もあった。 弟が、小学校になり帰宅せず 何度も行方不明になった時の母は、 涙ぐみ探し回った。 そんな毎日が戦場の様な日々で 私は中学生になった。 小学校の頃から虐めにあい、我慢して 毎日毎日 空気となり学校に通った。 中学生になると感情の変化か、 虐めの質が変わったのか、 私は校門をくぐると吐き気に襲われ 学校に行けなくなった。 地区に小学校1つ、中学校1つ。 逃れるには転校しかなかったが 転校する勇気も 私には なかった。 そして正直、これ以上、母に負担をかけたくないという思いも強かった。 私が何も言わずにいると 側に寄り添い背中を擦ってくれた。 「お母さん、私、ずっと虐められてたの。」 涙が溢れた。 やっと言えた心の声は それだけ言うのが精一杯だった。 「辛かったね。気付いてあげられなくてごめんね。小学校6年間も、病気以外、休まず頑張ったんだね。もう頑張らなくていいんだよ。無理しなくていいいんだよ。」 母も泣いた。何度も何度も謝り、 私を抱き締めた。 その後、フリースクールに通い 人に会うのが 苦手になった私を 送り迎えし、お弁当を毎日作ってくれた。 弟の事も大変だったのに… 私にも子供が生まれ母になった。 どれだけ大変だったか… お母さん、ありがとう。 大好きだよ。 小さな箱に入った母を 大切に胸に抱き、家へと帰った。
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