そんな事はどうでもいい!

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とは言っても私が生きている間は叶いそうもない。しかも、未来に対しては行ける行けないの選択の余地はなく、行けないという事が科学的に実証されてしまった。 この科学的な実証も言ってしまえば、「今現状では行えない」という不確かなものではあった。 でも、それは昔からそう。地動説を唱えたコペルニクスも、唱えた当初はあり得ないと言われて馬鹿にされたし、重力だって実証されるまでは架空の存在でしかなかったわ。 私はその架空だとか、あり得ないと言われる物事が嫌いだった。 偶然だとかで、その現象を終わらせるのは、私が高校の頃に遭った事故で嫌いになったわ。 それから私は、勉強を積みに積み重ねてここまで来ている。 女の嫌悪感という執念が、私をここに立たせているのだと実感しているわ。 苦手だった科学も物理も、高校三年生になる事には満点をだしていた。それくらいに、私にとって偶然や架空などの曖昧な言葉は嫌悪の対象になっている。 思い出しただけで虫唾が走る。あれから、離れ離れになったクラスメイト達は、今はきっと幸せに家庭を築いているに違いない。それでも、私は友人の偶然の事故死が忘れられなかった。 唯の間の悪さだとか、運が無かっただとか。色々な人が、仲の良かった私を慰めていたけど私はそれが無性に腹立たしかった。 クラスメイトの「仕方ないよね」という同調圧力も、私の嫌悪感の源なのだろう。 私は吐き気を堪えながら、先生や両親の慰めの言葉を吐かれる度に、その後ろにある、「私たちの責任じゃない」。という薄汚さが見え隠れして仕方がなかった。その度に引きつる笑顔の感覚を私は忘れない。 きっとこの人たちは、クラスメイトが自殺しても同じような事を言うに違いないわ。 そんな事は今の私には関係ない事だけど、ふとしたことで思い出しては煮え湯を飲まされるような気分になる。 私はタイムマシン計画に参加する事を伝え、自分のデスクに戻り、その不快感を振り払うように、仕事に没頭する事にした。 そうすれば、様々な事を忘れられる。それに人の汚い部分を避けるには、仕事がとても大切なことだった。 そう、プライベートに話せる友人が欲しいと思う事もあったわ。30代の頃には恋愛映画に溺れて人恋しさに、インターネットに癒しを求めようとしたこともあった。
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