レンズの向こう側

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「痩せたか?」  少し前に離れていったテツの手。  その手に捕らわれていたときの感覚が、無意識にそう言わせる元で、言った直後にはっとする。  そうなったってもちろん、出ていった言葉はもう戻ってはくれない。  言ってはいけないことを言った愚かな自分を内心オレは責め、するとテツは変わらない様子で言ってくれるんだ。 「たぶん、少し、そうかな。で、何しようか?」   *  お決まりと偶にのことが混じった放課後のあの、2人だけでテツの部屋で過ごした時間。  あの時間は、高校を卒業したあとも続いた。  オレが1浪して、予備校に通っている間も続いた。  そして、大学の合格が決まる3日前に唐突に終わった。  ……いや、唐突でもないか。そのときがいつかは来ると覚悟はしていたから。  ……でもやっぱり、唐突だった、かな。  その唐突のときから、あと数か月で1年。  クリスマスが過ぎ、大晦日を数日後に控えたその日、オレは久しぶりにテツの部屋の前に立った。  ドアの向こうに何も言わず、無言でドアノブに手を伸ばす。  そうして触れたドアノブは、思わず手を引っ込めそうになるほど冷たかった。  ドアノブを回し、開いたところから室内に入る。  途端、冷たい空気が顔の肌を刺してきた。吐いた息が白く曇った。 「廊下の方があったけーって、それってどういうことだよコラ」  冷たい空気で満たされた空間。  オレ以外はだれもいないその空間に放たれた言葉は、息同様、一旦白い雲となってそのあとはすぐに消えた。  その霧散を見届けるや勝手に、足元のフローリングの床に視線が落ちた。  すると視界には塵ひとつなさそうな床と、息が作る雲。  耳は、自分の呼吸音だけを捉えた。  訪ねてきたオレと入れ替わるように、おばさんが買い物に出ていったからそうなのだ。  だからこの家にはいまオレしかいない。  だから、オレの音しか聞こえない。  だから、だから、だから!  視線と一緒に下に向いていた顔を上げた。  そうして正面を見て、大股に歩き始めた。  その足を止めたのは、机の前に来たとき。  机の上はきれいだった。  本や文房具類は備え付けの棚にきちんとしまわれ、机上にあったのはひとつだけだった。  ぽつんとあったそのひとつに手を伸ばし、掴むと、腰を下ろした。
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