クミコ、君を乗せるのだから

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少なくともバブル時代まではクルマがいい女をゲットする最重要ツールといって間違いでなかった。 古い言葉だが「カーハント」なんて言い方もあった。 いい女にいいクルマ。これが男冥利につきるなんていう向きが今でも一部にあるが、それとは違う話をしている(いや、ちょっとは関係あるかな)。 この国が右肩上がりの経済だった時代。 若い男は誰もがクルマを所有することを望んだ。愛車に最愛の相手を乗せて走ることを生きる目標にした(オーバーすぎる? いやそうでもない)。 明日はなんだか知れないが、よさそうなことがありそうな予感がする。でもいまそれが何なのか自分ではわからない。 早く知りたいとは思うが、世間はそんなに甘くもない。 いつの時代も若者は自分が何者かわからない(本当は大人になってもわからない)が、そんな不安を解消してくれるのが実はクルマだった。 「ドライブに行こうよ」 彼が口にするこの台詞がどれほど力を込めたものか想像つくだろうか。まあナンパ師が放つ同じ台詞もあるが、それは彼女の本能が察知しただろう。 「何のクルマで行くの?」 こう答える彼女は相応に男なれしたベテラン(?)な気がする。 「どこに行くの?」あたりがまず見込みある質問だ。不用意な男は「どこでもいいよ」なんて返事をして大切なきっかけを失う。 たいていは抽象的だが「海に行こうよ」と答えた。海まで相当距離がある土地の場合は「○○高原に行こう」「○○湖へ」、もっと突っ込む奴は「○○の丘から夜景を見に」 こんな具合に、クルマがあれば日常の生活から離れて素敵な時間を過ごせる、そうだよねと自然に提案が出来た。 クルマは便利な移動手段だが、かつては移動先(目的地)はいまほど重要でもなかった。 クルマで走っている時間、その時間で体験できる事そのものが目的になっていた。 移動中の時間が楽しいというと訝しむのかもしれないが、では電車での旅は?、飛行機での旅は? 船だったらどうだ? 当時、クルマでの旅が一番贅沢だった。 住宅事情がまだまだ貧弱だったこともある。 いまでは自室で孤立している人が世間と交流の仕方を見失う時代だが、当時は世間との距離が近く窮屈だった。皆と一緒にが当たり前でむしろプライベートな空間が欲しくて仕方がなかった。
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