ノーベル文学賞受賞者のイエイツの作品で

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一生を費やした努力が無駄になることさえある人生の無情を描いた物語である。と芥川龍之介はそう考えて訳したようだ。ヨガも仙道も魔術も知らない芥川龍之介がそう考えたのも仕方あるまい。しかしこの小説の細部に注目すると、登場する修行者がかなりのレベルだったとわかる。まず座ったまま死ぬのは並大抵の人物にはできない。全身が弛緩するのでどうしても姿勢が崩れてしまうからだ。と言う事は、生前に彼は既に全身が弛緩したままで日常生活を送っていたとわかる。また自分の身に劇的な変化(この場合は私である)が起きる正確な日時を事前に知るのはこれまたかなりの達人でなければ不可能である。通常このようなことができる人物は神になるのは確実だ。つまり、この修行者は生前に望みを叶えられなかったが死後そののぞみを叶えられたのだ。したがって、彼は弟子に本当の事は言わないでわざと自分の望みが叶ったかどうかを弟子には判らせないようにしたと考えたほうが無難だ。もし、本当のことを言ってしまうと、弟子も自分と同じように一生をかけて修行に励んでしまう恐れがあるからだ。実際に、彼の死後、弟子はこんなことなら師はもっと世俗的な楽しい人生を送ったらよかったのにと言っている。つまりで弟子にとっては充実した人生とは世俗の楽しみを謳歌する人生だった。そのような人物に道を得る修行をさせても功は成らないだろう。師は弟子の資質を見抜いた上で一芝居打ったと解釈するべきなのだ。
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