第1章

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「あれが赤ん坊のことで何ともめちゃくちゃなことをしでかそうとしているからだ。お前も知っているだろう、茉莉花は感情に走ると手がつけられない女だということを。子供が乳離れして落ち着いたら銀座でホステスをするそうだ。子供を育てるには金がいる、手っ取り早く稼げるから、と言うんだね。父親に養育費を要求すればいいのに、産まれたことは知らせない、認知も迫らないし、考えつきもしない。妹らしいことだが、さすがに目に余る」 「お前の言う通りだ」 「僕では埒があかない。出産したことを君に知らせるなと頑ななところからして圧して計るべしだ。ここから先は君の出番だな」 慎は踵を返し、身支度を調えた。 「次郎、帰りはどうする」 「飛行機を使う。切符も取ってある」 「寄越せ。切符を私に渡せ」 慎は手を出す。 「僕はどうしろというのかな」 「怪我人はのんびり船を使って帰れ」 やれやれ、と苦笑しながら胸ポケットから出された券をもぎ取って、部屋を出ようとする慎の背に、「どこへ行くつもりだ」と次郎は言う。 「決まっている、茉莉花のところだ」 「住まいがどこか知ってるのか。東京で迷子になるつもりか?」 次郎の言う通りだ。彼から教えられた住所は、何と母校と目と鼻の先だった。滑稽すぎて笑えない。 九州へ赴任しなければ、いくら彼女が身を潜めていても見つけられた。 いや、それ以前に、街中で擦れ違う機会はいくらでもあった。 なのに我々は旅客機の客と乗員として再会した日まで待たなければならなかった。間が悪いにも程がある。 けれど、今度は、今度こそお前に辿り着く。 妻や息子を忘れてはいない。でも、政と同じくらい産まれた子と茉莉花が大切だった。
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