第1章

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「いつもの方がいらしています。どうしますか、お預かりしますか」 茉莉花と会うのもこれが最後かもしれない。 「お越し頂いてくれ、無理にとは言わない」 すぐに答えが来た。 「伺うそうです」 「わかった」 今日何度目かのため息をついた時、ドアをノックする音がした。控え目に、でも的確にコンコンと。 暗い。 何故だ。 顔を上げ、窓の外を見る。夕闇が薄暗さを増しているのに、灯りを灯していなかった。 物思いが深いと周りが見えなくなるな。 ドアを開ける前に蛍光灯のスイッチを入れ、ドアノブをひねった。 ドアの向こうには固い表情で立つ茉莉花がいた。 いつも冷淡で能面のような顔をして慎に接する彼女が、さらに怖い顔をしている。 廊下へ落ちる灯りが鼻梁に暗い影を落とした。 「お忘れ物のお届けに上がりました」 差し出した封筒は、箸にもかからない駄文を連ねた下書きだ。今の慎には片付けのゴミを増やすだけのもの。 そんなつまらないものを量産した自分にも、茉莉花にも、無性に腹が立つ。 いつにも増して、彼女の心の内がわからない。茉莉花の表情は理不尽にも慎を苛立たせた。 くるりと踵を返す彼女の足首は細すぎた。 「残念だよ、とうとう君をお茶にも誘えなかった」 足を止めた茉莉花は、すらりとした長い首を伸ばし、顔を緩く傾げる。 慎さん、なあに? いつも物を問う時は、言葉ではなく仕草で先を促す彼女。子供の頃の記憶が蘇る。
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