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「九州への勤務が本決まりとなった。もうこれまでのように頻繁に東京を行き来することもなくなる。忘れ物をすることもね。君の会社の人たちにも迷惑をかけたが、もうなくなるよ。安心してくれたまえ」
「そうですの」
さらりと返ってくる言葉は滑らかで、感情の起伏すらない。
彼女は私に対してはいつもそうだった。
手の内を明かさないポーカーのディーラーのように。
少しは、心からの笑顔を見せてくれても良いのではないか?
かつて好き合っていた者同士なのだ、私たちは。その片鱗も見せないなんて。
「また何かの折に遠出をされる時は、私共の会社をご贔屓下さいませ」
カチンと来た。
「下さいませ、か」
感情を泡立たせるな、私、と自分の中で声がする。が、止められない。
「君は最後まで社交儀礼的で冷たい女だな」
茉莉花の顔が一瞬で強張った。
ひどい言葉を投げつけて溜飲を下げたつもりだったのに、怖い顔をした彼女の瞳が揺らめく。
――涙か?
せり上がってくるものを精一杯耐えているのが一目瞭然だ。
何故泣く!
「ええ、そうなんですの」
小さい咳払いと共に吐き出される言葉はカサカサとひび割れた古紙のようだった。
「私より尾上様の方が良くご存知かと」
感情を押し殺そうと努めた言葉が、震えている。
「――失礼」
背けた顔の首筋に、後れ毛が一房落ちかかる。
カッとなった。
この女は、私を待てなかった、裏切った。
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