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ー6ー
「あら、コウさん、早かったですね」
とんぼ返りで大学から家に戻ると、台所から出て来ようとしている高橋さんと鉢合わせた。
「さっき、昼食出来たばっかり。帰りは午後になると伺ってたから、冷蔵庫に入れておこうと思ってたんだけど、お出ししましょうか?」
「でも、これから休憩でしょう?」
「いいの、いいの。ちょっと話したいことあるし」
「そうですか?じゃあ、お願いします」
高橋さんはパーマの効いた髪をひとつに結び直して、腕に引っかけていたエプロンを首にかけた。彼女は十年程前、モモカ家に家政婦としてやって来た。聞くところによると、母の高校時代の先輩で、コウが赤ちゃんの頃、この家に何度か遊びに来たこともあったらしい。キッチンに戻った高橋さんは手際よく料理を温めなおすと、ダイニングテーブルの上に丁寧に置いた。今日の昼食は、オムライス。彼女の作る、ふわトロじゃない、昔ながらの黄色い薄焼き卵でしっかり巻いたオムライスが、コウは好きだった。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
自宅で誰かと食卓を囲むことは、ほぼ無い。食事を自室に持っていった時、カズラに見守られながら食べるくらいだ。無駄に広いダイニングキッチンの、見慣れた六人掛けテーブルに自分以外の誰かが座っていて、そんな中で食事をするという慣れない光景に、不思議な感覚を抱きながらスプーンを動かす。
「大学、どう?楽しい?」
斜め前の席に腰かけた高橋さんが、専用のマグカップを手に尋ねる。
「うちの長男が、来年大学受験でね。わたし自身大学出てないから、どんなもんかなぁと思ってて」
「楽しいですよ、突然休講とかなったりするけど」
小柄なカーネル・サンダースを思う。
「したことない経験、色々できますし」
「そう。コウさん、大学生になった途端、急に大人っぽくなったものねぇ。もう、赤ちゃんじゃないものねぇ」
「高橋さん、またその話」
「だって、可愛かったの。お目目がまん丸で、色白で」
高橋さんは少し間を置いて、目を瞑った。
「二十歳かぁ。蓉子ちゃん、喜んでるだろうなぁ」
彼女とこうやって話す機会は多くないが、向かい合う度にこの話の流れになる。正直、ただの思い出話だと聞き流していた。今までは。
「あぁ、ごめんね。一人で耽ってしまって」
照れたようにマグカップの紅茶を口にする。中庭に面した大きな窓から光が差し込み、テーブルの上にカップを手にした影ができた。母とも、こうやって向かい合って、紅茶を飲んだことがあるのだろうか。俄然興味が湧いた。チャンスは今しかないと思い、彼女が一息つくのを待ってから、スプーンを置く。
「あの、良かったら、教えてくれませんか?」
「あら、何を?」
「母のこと」
「…え」
びっくりした顔でコウを見返す。
「どうしたの?何かあった?」
「いいえ。特に何って訳じゃないんだけど…ちょっと母を思い出すことがあって」
「あ。もしかして、今年の八重藤見たんでしょう」
小さくウインクなんかされて、今度はこちらが目を見開いて、テーブルの向こうを側を見た。
「知ってるんですか?あの花のこと」
「蓉子ちゃんに、お気に入りの場所だって連れていってもらったことがあるの。八重藤なんてどこでも見れるもんじゃないから、毎年、見に行ってるのよ。今年はいつもより、見ごたえがあったわね。そうそう。あの場所には昔、紫陽花もたくさん咲いてたの」
荒れてるとは言わないが、整ってるとも言い難い、色んな葉っぱが重なりあった、ジャングルみたいな一角を思い出す。そういえば、うちには色んな花が植えられてるのに、紫陽花だけは一本も咲いていない。
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