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ー7ー
「はぁぁぁぁ」
壁を背にしてスツールに腰かけたまま、天井を仰ぐ。見慣れているはずのシーリングファンライトの羽が、ゆっくり回っているのを見ていると、思考さえも一緒に回っていきそうだ。【話し合えばいい】と一言で言っても、行動に移すまでは、多大な勇気がいる。だって、物心ついてからこっち、まともに父と話をしたことがないのだから。
「悩み事ですか」
カズラが目をとろんとさせ、背伸びをしながら聞いた。
「呑気でいいなぁ。わたしも猫になりたいよ」
「人間を選んだのは、貴女です」
「人間って考えることが多すぎる…てか、選択権あったの?」
そっぽを向いて、ピンク色の舌で後ろ足をなめ始めた物知り猫を、観察するようにじっと見る。二十年の年月を、一番近くで見てくれていた存在。
「…もしかしてカズラ、知ってた?」
秘密主義の白猫は、主人の浴びせるような視線をものともせず、毛づくろいを続けながらぶっきらぼうに返事をした。
「何をです」
「あの時、父が…わたしを守ろうとしてくれてたこと」
カズラは毛づくろいを止めて、顔を上げた。
少し考え、前足で髭をひと撫でしてから頷く。
「あらかたは」
「何で教えてくれなかったのよ…」
唇を真一文字に結んで不満そうに睨むコウに対し、たしなめるように瞬きをする。
「聞く耳を持たない者に言ったところで、混乱するだけでしょう。頑なな人間を解きほぐす術を、わたしは持ち合わせておりません」
まぁ、確かに。それをカズラに強いるのは酷なことだ。
「誰しも皆、時期というものがあります。時間は薬。時が経って、あなたの心が癒え、そこにちゃんとタイミング良く情報が入ってきたわけですね」
「そうだけど…申し訳ないよね、知らなかったとはいえ、今まで散々な態度取ってきたんだから。会わす顔ないし、今さら何だよって感じだし」
「今更なんて、思いませんよ。今までも、これからも、親子じゃないですか」
カズラは猫目を三日月にして笑った。
「悪いとお思いなら、あなたから歩み寄ってはいかがか」
正論だ、ド正論。
「明日、蓉子さまの祥月命日でしょう」
一年に一度、必ず父と墓参りをしている。そこがチャンス。迷っている時間はないし、これを逃したら、自分はもう動く意欲を失くしてしまう気がする。
サイドテーブルに置いてあった筆ペンを手にする。強く握ると、銀色のあの人に背中を押されている気持ちになった。
「珍しいですね、筆ペンなんて」
カズラが【意外】と顔に書いて主人を見る。
「お守りに持っていこうかな」
「それを?お守りに」
「うん、レンからもらったやつだから」
「………」
白猫は尻尾の毛をブワッと逆立てた後、そろそろと目を細め、じとっとコウの手元をねめつけた。それから素知らぬ顔で、筆ペンをチョイとはたき落とす。
「ちょっと、何するのよ」
「おや、失礼。前足が滑りました」
鼻を鳴らしてそっぽをむく相棒にため息をつきつつ、今まで積もりに積もった心の中の埃を、ようやく重い腰を上げて掃除すべき時が来たことを自覚していた。
視界を妨げている綿埃は、年月を経てカチカチに固まっている。掃除道具は、バケツと雑巾と…そうだ、母にもこっそり手伝ってもらおう。そのくらい、いいよね。
あの日見た、八重藤の花を思い浮かべた。
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