第2章 湖水

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「見事なダイビングだったな」  ねぎらうような褒め方だった。 「ははっ。すごく楽しい。はぁーさすがに少し疲れたかも」 「じゃ,休憩タイムだな」 「もう少しだけ水に浸かっていたいんだけど…」 頷いたブライスは優志を桟橋から少し離れた湖面に導いた。そして二人で陽光の暖かさを享受して,ただぷかぷかと身体を浮かせて漂っていた。 「最高な休日の過ごし方だよね。幸せだって感じ」 優志は素直な気持ちを言葉にした。 「シアトルで生活する最大の魅力ってやつだな」 「…ブライスはなぜ東部の大学に行ったの?」  思わず単純な疑問が口から出た。もちろんプリンストンほどの大学なら,ここを離れて行く価値はあるだろうが,何となく尋ねてしまった。  少し間があった。二人は同じ方向に頭を向けていた。桟橋からは歓声が続いていた。 「…俺の父親がプリンストンにいるんだ。そこで物理学を教えている」 「あぁ…そうなんだ」 「母と父はもう…10年も前に別れた。母校のプリンストンで教鞭を執って5年くらいになるんじゃないかな。俺が進学先を決めるときプリンストンを勧めてきて…。父親以外,俺を知ってる人間がいないところで生活してみたかったのかもしれない…」     高校時代,ブライスに何かがあったようなことを暗示していると思ったが,優志は黙っていた。 「父は大学で助手をしていた時に,ロンドン大学に研究員として渡ったらしい。そこで考古学の院生だった母と出会って結婚して…。それから二人で働ける大学を捜してシアトルに来たってわけ。母はエジプトでは珍しいコプト派っていうキリスト教徒の家に生まれたんだ。貧しい中ロンドンに留学させてもらったのに,アメリカ人と結婚することになって親族一同から反対されて勘当されたみたいだ。俺が一度だけエジプトに行った時も母の実家には寄らなかった。母の姉がカイロに嫁いでいて,こっそりって感じでホテルに会いに来たのを覚えているだけだ」
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