第2章 湖水

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 優志はブライスが話す内容にただ驚くばかりで,言葉が出なかった。ブライスがこんなに個人的なことを語ることになって申し訳ない気持ちが生まれたが, もしかしたらずっと誰かに聞いて欲しかったんじゃないかと感じて,誠実に耳を傾けていた。 「 …母と父は,いろんな障害を乗り越えて国際結婚するほど愛し合ってたはずなんだ。でも母は離婚の原因を教えてくれなかったし,俺もはっきりとは訊いたことはなかった。それでプリンストンに行った時,初めて父に訊いたんだ」 ブライスはチラッと優志の方を見て,ブライスの話を聴く優志の表情を確かめた。 「結婚してアメリカに帰ってきてから,母がエジプト出身というと大抵の人は彼女のことをイスラム教徒だと思ったそうだ。それを訂正するのに疲れるから訂正しないでいたら,彼女をイスラム教徒と思ったまま接する人間もいて,結局人間関係に支障が出たらしい。各国でイスラム教の過激派組織がテロを起こしていたしね。母には父しか理解者がいなかったから,全ての不満をぶちまけるのは父しかいなかった。それで二人の関係は悪化して,最悪なことに父が大学の同僚と不倫したのさ。同じ文化を持つ人間とは簡単に分かり合えるって勘違いしてね。そのことが母にばれて,関係は修復不可能,ジ・エンドだ」  ブライスの言葉は淡々としていた。それが却って優志には哀しく響いた。 「父は母と不倫相手とも別れて東部へ行って,今も一人だ。母はアメリカの離婚女性同様苗字を変えずにいる。二人はお互いに対する感情を決して俺には話さないし,かなり傷つけ合ったんだろうな。でも俺が思うに,二人は本当に愛し合っていたし,今だって相手を想う気持ちはあると思う。でも,それだけでは一緒に暮らしていけなんいんだ。多民族国家アメリカにおける悲劇だよね」  出逢わなきゃよかったんだ…,その言葉が唇まで出かかっていたときだった。 「…また,いつか会えるといいね,ブライスのご両親。やり直せなくても,会うだけでも…」  ぽそり,と優志がつぶやいた。ブライスははっとして優志を見た。 「…そうだな。会って顔を見るだけでもいいかもしれないな…」  ブライスは明るく笑って優志に言った。 「君の素直さには驚かされる。救われるよ」  優志は「救われる」という言葉に反応して鼓動が早まるのを自覚した。それはほんの僅かのことだったが,優志の心に引っかかった。
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