第4章 約束

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 目指す家の前に着いたとき,優志の脈拍は少しだけ速くなっていた。気持ちに迷いはなく落ち着いていた。ここに来るまで通り過ぎた生け垣のサルスベリの花が満開で,その甘い香りから早く逃れたいと思った。 ―セキュリティが緩いといいんだけどな…。  夜空は曇っていて月も星も見えなかった。優志はゆっくりと敷地に入った。じゃりっと小石を踏んで,思いついて豆粒ほどの石を拾った。部屋の位置を思い出しながら建物の裏手に回り,目的の部屋を見つけた。  その部屋には薄明かりが点いていて,シンプルなカーテンから灯りが漏れていた。12時前だし,まだ起きているんだろう,と思った。 ―確か廊下を隔てた向かい側がお母さんの部屋だったよな…。  裏の庭はそれほど広くない。優志は1本ある木の下から狙いを定めて小石を窓に投げつけ,すぐにしゃがんだ。 コツン,と静寂の中に硬質な音がした。ちょっとして部屋の中で人影が動いた。カーテン越しに大きく揺らめくその影は,窓辺に近づくにつれて小さくなり焦点が合うかのように明確な形に変わった。 ほんのちょっと外をうかがうようにしていたが,暗い庭はよく見えないに違いない。影は窓から離れて行った。  ものすごい感度のいいセキュリティを使用していないことがわかった。警察に通報されても困るので,早く次の行動に移さないとまずい、と優志は音を立てないように窓の下に移動した。そして,意思をもった行為であることが伝わりますように,と窓をノックした。 コンコン,…コンコン。  人影が先ほどより素早く動いてきた。不信感をもたれて襲撃されるより先に名乗らなくては,と優志はタイミングを計った。相手が窓際に辿り着き,こちらの声が聞こえる距離だ。 「ブライス…,俺,優志…」  影が窓の鍵に手をやり,引き上げ式の窓をがたがたと上げた。灯りを背にした逆光の中に,これ以上ない程の驚きの表情が陰影で判断できた。優志はほっとしてそれからにっこりと笑って言った。 「中に入っていいかな…」  答えを待たずに優志は肩の高さにある窓枠に両手をかけて,えいっと力を込めて登り始めた。右足を窓枠にかけたところで,驚いたままだったブライスが優志の片腕を上から引っ張り上げた。
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