第1章 出逢い

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ブライスは少し俯いてそれから顔を上げて口を開いた。 「…俺は数学と物理ができたからプリンストンに進んだんだけど,そこには俺より遙かにできるやつがたくさんいてさ。いやになるくらいな。それで去年から専門を変えたんだ。宇宙工学と言っても,主に数字を扱って研究してる。数学も物理も利用できるから面白いし,自分に適した分野だと思う。でも正直,君のような人間に会うと自分の動機の脆さを突きつけられて焦るよ」  そう言ったブライスはしかし,少しも焦った様子はなく茶目っ気のある表情を浮かべて優志を見た。 「こういう分野には,理論を研究する人間とそれを形にする人間が必要だから, 貴方がやってることは大切なことなんです。俺にはできないことだし」  優志はありきたりなこととは感じたが,そう口にせずにはいられなかった。 「素敵なことを言ってくれるね。…そうだな,俺が考えた理論でできたロケットが,君のエンジンを乗せて宇宙を飛ぶ, なんてことがあるかもな」  笑ったブライスの瞳にキラキラと光が湛えられていて,優志は軽くジョークを返すこともできなかった。  ブライスはまた前を向いて歩き始めた。坂道から水平な道へと曲がると,家や木々の間からワシントン湖がチラチラと見えた。湖面に西日が反射していた。 二人の背中にも西日が当たって暖かかった。ブライスは少し上に目を向けていた。 「さっきの探査機と地球の管制室とのコミュニケーションの話だけど,機械でも人間とコミュニケーションを取れるって,分かるよ。お互いに対する信頼関係が存在するんだ。機械だろうが数字だろうが、対象に対する愛情があれば信頼は生まれるから」 同感だ,と優志は頷いた。でもブライスが表情を硬くしているのに気付いて, 彼が何か違うことを言いたいのではないかと察して言葉は発しないままでいた。 少し間があった。それからブライスは優志とは反対の湖の方向に少し顔を向けて口を開いた。 「…なのに人間同士だと,簡単に愛も信頼も失われてしまうことがある。人間の方が愛と信頼を必要としているのにね。 触れようと思えばそうできる近さに存在していながら,コミュニケーションが取れなくなるんだ」 ブライスの方が優志より少し上背があったので,西日を背中から浴びた彼の表情が優志には読み取れなかった。
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