2628人が本棚に入れています
本棚に追加
* * *
翌日の放課後、木綿陸高校にて。
ここに、今回珍しく何も関わらなかった少年が一人いた。
千倉燿だ。
「へー……そんな面倒臭いことがねえ……」
流花と瞑の身にあったことを聞いた燿は深いため息をついた。
といっても、自分だけ仲間外れにされたなんて彼は微塵も思っていない。
むしろ、自分も介入しなくてよかったとすら思っていた。
伊佐田のような人物は彼にとってこの上なくうざったくて、関わりたくないからだ。
「よりによって第一志望のオープンキャンパスでそんな厄介な奴に絡まれたなんて、藤崎も災難だったな」
「う、うん……でも、大学の雰囲気は掴めたし、全体的に学生の雰囲気もいいから、行ってよかったと思ってるよ」
「ふーん……まあ、悟さんたちがいるから却って安心か」
納得したように燿は頷く。
その隣で瞑が「それほどでも」と照れながら頭を掻く。
「お前じゃねえよ」
そうツッコミを入れるのも、最早彼らのテンプレートだ。
「ところで、流花はもう体調いいの?」
瞑に尋ねられ、流花はコクリと首を縦に振る。
「瞑君のおかげで、すっかり良くなったよ」
「そっか。それはよかった……え?」
流花の言葉に瞑も、横にいた燿でさえも驚いて目を瞠った。
とても自然な感じで言っていたが、確かに彼女は今――
「……名前で呼んでくれた?」
思わず訊く瞑に流花は頬を赤らめながらもフフッと笑う。
「嫌だった?」
恥ずかしそうに言う流花に、瞑はフルフルと首を横に振る。
「全然……むしろ、めっちゃ嬉しい」
彼女に返す瞑の声はうわずっていた。
けれどもこれは動揺でも緊張でもない。
心の底から喜びを感じているのだ。
――ああ、やっと。
もう一歩踏み出せたような気がする。
そう感じると彼の中にあった靄がスーッと晴れたような気がした。
「……ありがと」
礼を言う瞑に、流花は頬を綻ばせる。
そんな彼らの様子を、燿は「やれやれ」と呆れたように息をつく。
「本当……相変わらず一年経たなきゃ下の名前で呼べないのな」
燿に図星を突かれ、流花は引き攣った笑みを浮かべる。
「相変わらず」と言ったのは、現に燿もそうだったからだ。
「燿も俺こと名前で呼んでいいんだよ?」
ニンマリと笑いながら、瞑は燿の肩に腕を回す。
「呼ばねえよ、ったく……すぐに調子に乗りやがって……」
「えー、俺と燿の仲じゃんかー」
「どんな仲だよ、馴れ馴れしい」
そう訝しげな表情をする燿だが、肩を組まれた瞑の腕は払おうとはしなかった。
どうやらこの一年で彼もまた、瞑のペースに飲まれてしまったらしい。
「……まあ、考えておくよ」
そっぽ向きながらもそう返した燿に瞑は意外そうにしていたが、やがて嬉しそうに目を細めた。
――こうして今日も、日常が少しずつ変わっていく。
これはそんな彼らの、ひと時で……
彼らの非日常的な日常は、これからも変わりなく続いていく。
最初のコメントを投稿しよう!