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「おさかな」えむばーど
「おさかな」えむばーど
電車を降りると、むわりと湿度の高い空気が僕を取り囲んだ。夏が終わり、秋と呼ばれる時期だというのに、ひどく蒸し暑い。季節を感じさせるのは、カレンダーの数字くらいだった。
駅を出て、目的地へと向かう。どうやら、繁華街からは少しはずれたところにあるらしい。しばらく歩くと、静かな並びにぽつん、と一軒暖簾がかかったお店があった。近づいてみると古風な和風建築で、丁寧に手入れされていることがわかる。田舎の、祖母の家に重なる。店名を確認すると、ここが待ち合わせの場所だった。
暖簾をくぐり戸を引くと、香ばしいにおいが鼻をくすぐった。店の中は、中央の調理場を囲むように年季の入った木製の机が配され、その中で店主らしき人物が、串物を焼いている。ぱちぱちと炭の弾ける音と白熱電球の柔らかい光が、店の中に満ちている。僕は、中に入ったとほとんど同時に、この店のことを気に入っていた。
店内を見渡すと、永井が、僕に向かって手を振っているのを見つけた。
「よぉ、とりあえず何か呑もうぜ」
永井が東京に来てから三年ほど、月に一回定例のように酒を飲み交わしている。お互い、高校時代から変わらずの大人げなさを確認しあい、そろそろ身を固めろよと言葉を投げ合うのだ。
「お前が、こんな隠れ家的な店を知っているだなんてな」僕が言うと、
「いつも教えて貰ってばかりだったからな。たまには反撃しないと」とニヤリ不敵に笑う。
僕は苦笑いで応え、塩鯖とさっぱりとした日本酒を頼む。永井は、その様子を意外そうに見た。
「変わったなぁ」
「何が?」
「いや、お前が魚を頼んだこと」
永井はお猪口を手に取り、くっと飲み干した。
(続く)
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