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『有坂さん、秘書検定取ってたよね?』
まだ私の肩書きが“大学生”だった頃。
同じ学部で同じ講義を取っていた彼が言ってきた。
卒業後、彼と同じ会社に就職し、秘書課へと配属されたのは、彼が直接人事課へ私を斡旋してくれたからだ。
あれから、約十年余り。
秘書課で経験を積む私と同様、営業部で着実に実績を伸ばし、ここまで辿り着いた彼の部屋をノックする。
秘書課と同フロア、足音の響かないカーペットの敷き詰まる廊下の最奥。
重厚な木製の扉には、シルバーのプレートに“社長室”の文字。
「はい」と穏やかに返ってくる返事を聴き、開けた扉の向こう。
彼の背負う世界そのものを表す大きな窓。
そこを逆光にした部屋の眩さに、一瞬目が眩む。
慣れてきた視界の中で、見つけた彼は、姿見の前でネクタイを直していた。
「社長、お時間です」
「うん、行こうか」
その肩書きを与えるには時期尚早との声も上がる中、我社の現会長である父親に命を受けたご子息。
そんな彼のパートナーとして、数年前から仕えている。
こちらへ歩いてくる長身が、立ち止まることなく部屋を出られるように、扉を引いて待つ。
薄い笑みで「ありがとう」と言うのは毎回のことで、社の頭になってからもう2年は経つのに、彼から謙虚さが抜けることはない。
この会社のトップなんだから、社員にペコペコおべっかを使う必要もないし、部下に舐められないよう偉ぶってて欲しいと言う私の忠告も受け入れてくれないのは、それがこの人の根っからの性分だからだ。
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