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カラスは店から程近いアパートに住むことになった。
既に我が家には吾郎さんと征さんが居るため、許容は一杯一杯だからだ。
食事は全て家で賄う約束がなされていた。
食費と家賃の一部をうちが負担する代わりに手当の額が寂しいけど許してね、そういうことだ。
とはいえ、田舎のアパートの家賃半額と、僅かな水道光熱費を差し引いても、自由に使える金額は残るだろうと思われた。
彼は山口県から車でここまで来ていて、車がないと何かと不便なこの町でも足に困ることはなかった。
後になって知ったことだが、ここを訪れた日、駐車場があるかどうか解らなかった彼は、近くのスーパーの駐車場に車を置いて歩いてきたらしく、開店時間まで車内で本を読んでいたそうだ。
カラスが店で働くようになってから半月ばかり経ったある店休日。
私はリュックに色鉛筆、スケッチブック、水筒やおにぎりなどを詰め込んで、散策の支度をしていた。
父にはいつも鼻であしらわれるのだが、私は近所を歩き回って、季節を感じられる植物をスケッチしては父に見せている。
何か菓子のヒントになるのではないかと思っているのだが、あまり新作を作ることにこだわりがない父はちらっと見るだけで相手にしてくれない。
一度だけ、リンドウのスケッチを見た父が、「この角度は面白い」と参考にしてくれたことがあった。
それに味をしめて、私はせっせとスケッチを重ねる。
自分が描いたものが父の作品になるなんて、考えただけでもワクワクする。ただの自己満足だけど。
リュックを背負い、家を出た。
今日は山にしようか、緑地公園でも良さそうだ。
分岐点で思案していると、白いコンパクトカーが私の前で止まった。
「お嬢さん」
声をかけられ、私は大袈裟に溜め息を吐いた。
「だから、お嬢さんは辞めてってば」
空いた助手席の窓から、運転席を軽く睨んだ。
カラスがクスリと笑っている。
「お嬢さんはお嬢さんでしょう」
「車を横付けして「お嬢さん」なんて声掛けてるの、端から見たらちょっとしたナンパだよ?」
カラスは目を丸くしたあと「そうか……」と呟いた。
「じゃ、改めて。
菫さん、歩いてどこへ?」
スケッチにいくことを説明すると、カラスはまた目を丸くした後、楽しそうに「俺も連れてってください」とのたまった。
……町を案内するのも悪くないか。
そう思い、私はカラスの申し出を了承して、助手席に乗り込んだ。
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