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「マサさん、意外に絵が下手なんだね……」
持参したおにぎりを頬張りながら、彼のスケッチブックを眺めた素直な感想がそれだった。
彼は家では「正樹」「マサさん」と呼ばれている。
さすがに「カラス」にはならなかった。
私もマサさんと呼ぶようになった。
あんなに真っ黒な出で立ちをしていたのは初日だけで、日頃は白衣だし、今は普通の青年のカジュアルな服装だ。
見た目ももうカラスではない。
呼び方が決まったにも関わらず、私の中で彼は、相変わらずカラスだった。
忘れられない強烈なインパクト。
漆黒の瞳の力強さ。
分けたおにぎりにかぶりついたカラスが、鼻にシワを寄せる。
余りにも似つかわしくない表情に、大きな声を出して笑ってしまった。
「何でですかね、小さい頃から粘土細工とか彫刻はいけるのに、絵だけは下手なんですよ」
おにぎりを飲み込んだ彼は、口を曲げて呟いた。
「ん~、忠実に写し取らなくても良いんじゃないかな」
私は目の前の新緑を愛でながら持論を展開する。
「菓子のヒントになればいいって思って私は描いてる。
でも、参考になったとしても、このままを表現する訳じゃないでしょ?
もっと抽象的になるよね。
私には菓子に変換する能力がないから、どこを簡素化して良いか解らないの。
マサさんは形に出来る腕があるんだから、最初からイメージしたら良いんじゃない?
目の前の花を菓子にするなら……って」
カラスの視線を横顔に感じる。
熱弁を振るったことに照れ臭くなって、水筒を傾けた。
「すごいね、菫さんは」
カラスが穏やかな笑みを浮かべて、正面を向いたのが視界の端に写った。
「人の気分の上げ方を熟知してる」
「そんなことないよ」
今度は慌てて私が顔を向ける。
「気が利かないって有名なんだから」
再び私に顔を向けたカラスの表情が……きつい目付きにも関わらず余りにも優しげで、私は息を止めた。
「自覚がないだけですよ。……さて、続き描こう」
腰を上げ、体を折り曲げて私からスケッチブックを取り上げると、カラスは一度伸びをした。
痩せぎみなカラスが、何故かどっしりと大きく見えた。
日暮れ前に山を後にし、私たちは夕食には早い時間にラーメン屋に寄った。
山中を歩き回った上に、昼食がおにぎり一個ずつで、限界まで空腹だったのだ。
時々立ち寄る店の、いつもの味なのに。
おなかが空いていたせいか、何倍も美味しく感じた。
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