四季を作る手

16/67
前へ
/67ページ
次へ
「マサさん、意外に絵が下手なんだね……」 持参したおにぎりを頬張りながら、彼のスケッチブックを眺めた素直な感想がそれだった。 彼は家では「正樹」「マサさん」と呼ばれている。 さすがに「カラス」にはならなかった。 私もマサさんと呼ぶようになった。 あんなに真っ黒な出で立ちをしていたのは初日だけで、日頃は白衣だし、今は普通の青年のカジュアルな服装だ。 見た目ももうカラスではない。 呼び方が決まったにも関わらず、私の中で彼は、相変わらずカラスだった。 忘れられない強烈なインパクト。 漆黒の瞳の力強さ。 分けたおにぎりにかぶりついたカラスが、鼻にシワを寄せる。 余りにも似つかわしくない表情に、大きな声を出して笑ってしまった。 「何でですかね、小さい頃から粘土細工とか彫刻はいけるのに、絵だけは下手なんですよ」 おにぎりを飲み込んだ彼は、口を曲げて呟いた。 「ん~、忠実に写し取らなくても良いんじゃないかな」 私は目の前の新緑を愛でながら持論を展開する。 「菓子のヒントになればいいって思って私は描いてる。 でも、参考になったとしても、このままを表現する訳じゃないでしょ? もっと抽象的になるよね。 私には菓子に変換する能力がないから、どこを簡素化して良いか解らないの。 マサさんは形に出来る腕があるんだから、最初からイメージしたら良いんじゃない? 目の前の花を菓子にするなら……って」 カラスの視線を横顔に感じる。 熱弁を振るったことに照れ臭くなって、水筒を傾けた。 「すごいね、菫さんは」 カラスが穏やかな笑みを浮かべて、正面を向いたのが視界の端に写った。 「人の気分の上げ方を熟知してる」 「そんなことないよ」 今度は慌てて私が顔を向ける。 「気が利かないって有名なんだから」 再び私に顔を向けたカラスの表情が……きつい目付きにも関わらず余りにも優しげで、私は息を止めた。 「自覚がないだけですよ。……さて、続き描こう」 腰を上げ、体を折り曲げて私からスケッチブックを取り上げると、カラスは一度伸びをした。 痩せぎみなカラスが、何故かどっしりと大きく見えた。 日暮れ前に山を後にし、私たちは夕食には早い時間にラーメン屋に寄った。 山中を歩き回った上に、昼食がおにぎり一個ずつで、限界まで空腹だったのだ。 時々立ち寄る店の、いつもの味なのに。 おなかが空いていたせいか、何倍も美味しく感じた。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!

179人が本棚に入れています
本棚に追加