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特に考えたことなどなかった。
真っ黒から真っ白に変わった姿を見たとき、驚きはしたけれど。
山を散策しながらスケッチするのは楽しいけれど。
不意に落ちる沈黙が居心地良かったりするけど。
仕事仲間、半ば家族みたいなものだから、意識なんかしたことなかった。
だから、一度意識してしまうと、容易にそれが抜けない。
いつもなら朝一番に眺める職人が菓子を作る風景を、夕暮れ時に眺めながら気付いたことがある。
……私、カラスの手元ばかり見てる。
克之の結婚にも、私から克之を奪った女性の懐妊にもそんなにショックを受けなかったのは……そういうことなんだろうか。
いやいや、まさかそんなはずは……
黙々と菓子を生み出していくカラスをまじまじと見てみる。
うん、全然タイプじゃない
私の好みは、優しそうな目、穏やかな雰囲気、話上手で一緒にいて退屈しない人。
対してカラスは、つり目で、野性的で、口数少なくて、まあ一緒にいても大概別行動だから退屈はしないけど……。
ぱっと見、惹かれる要素なんかない。
でも、なんでかな。
目が離せないんだ。
「菫、ぼやっとするな」
作業台が菓子で埋め尽くされている。
慌てて返事をし、父の前の菓子をばんじゅうに移した。
それぞれの職人の前に並ぶ菓子を丁寧に箱に並べ、重ねていく。
その作業は深夜まで続いた。
翌朝、店のバンに積み重なったばんじゅうを積み込むと、父と征さんは野点会場に向かった。
私は今朝作られた菓子を店内に運び、ショーケースに並べる。
いつもの朝だ。
今日は野点があるので、大した集客は見込めない。
ただ、会場でお菓子を食べた人がふらりと寄ってくださることもあるので、油断はできない。
開店までの間、私は眠い目を擦り、行儀悪くもキッチンで立ったまま、いつもより濃い目に淹れたお茶を啜っていた。
すると居間からカラスの声がこちらまで届いてきた。
「女将さん、今日は夕食は外で摂るので、僕の分は準備されなくていいですので」
「あら、外食するの?」
「はい、知人が来るんです」
ふうん、わざわざこんなところまで来るんだ。
お茶を啜りながら聞き耳をたてる。
「彼女?」
母が楽しげに聞いている。
カラスは苦笑した。
「はは、そんなんじゃないですけど……」
……けど?
じゃあ何?
いやいや、どうでもいいし。
シンクに湯呑みを下げて、私は二人の会話を遠ざけようと店内に戻った。
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