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ショーケースを眺める彼を見守ること5分、私はようやくカラスに声を掛ける意思を固めた。
近寄りがたい雰囲気に躊躇していたのだけど、やっぱり気になって仕方ない。
「あの……バッグ、こちらへどうぞ?」
見るからに重そうな大きなバッグ。
いくら菓子に夢中とはいえ、端で見ているこっちの肩が凝りそうだ。
カラスはピクリと肩を震わせ、ゆらりとこちらを見た。
「お気遣いありがとうございます。
つい見入ってしまって」
テーブルに近付き、椅子に向かって肩からゆっくりと荷を下ろした。
丁寧に下ろしているのに、どさりと重量を証明する音と振動に驚く。
バッグを下ろすとすぐにショーケースの前に戻るカラス。
そんなにまで気になるのかと呆れつつ、ちょっと嬉しい私。
父に弟子入りしたいと言うくらいだから、彼は父の菓子を見てそこから何かを感じ取っているのだろう。
私は食器棚から茶碗を出した。
カラスに羽の色に似た、光沢のある黒い茶碗。
使えば使うほど色が変わる萩焼きの碗。
備前焼の碗も捨てがたい。
カラスには黒が合いそうだけど、茶碗を前にした姿を想像したときに、コントラストがあまりにもないのは私が許せなくて、黒い碗は棚に戻した。
最終的に萩焼きの茶碗と菓子皿を出し、お茶の準備を始めた。
せっかく父の菓子に興味を持って貰っているのだ、菓子の味に見会うお茶を点てたい。
本来はお茶を引き立てるものだろうが、彼にとっては菓子の方が主役だろう。
それでも美味しいお茶を点てたいと思うのは、私の意地だ。
湯を沸かし始めたところで、作業場から声がした。
最後の菓子が上がったようだ。
返事をして一度奥に入り、菓子が並ぶ盆を手に店内に戻った。
ショーケースのぽかりと空いた中央部分に、その盆を丁寧に入れると、カラスは目を見張る。
『菜の華』
鮮やかな黄身餡が綻ぶ、春の菓子だ。
「お茶を淹れますよ。どれになさいます?」
問いかけると、カラスはじっと菓子を眺めて、今しがた出した『菜の華』と、桜を表す『白桜』、かりん糖に似た『土筆』を指差した。
……三つも?
私は小さく吹き出して、菓子皿を変更した。
横に長い大きめの皿に、三種類の菓子をそっと並べる。
茶を点てて、茶碗と菓子皿の乗った盆をテーブルに置くと、カラスに声をかけた。
カラスは私に小さく礼を言うと、ガラス越しから目の前へと姿を表した菓子を、更にじっくりと眺めた。
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