四季を作る手

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「あの……」 入り口の戸を閉めたところで、徐にカラスが声を発した。 「これ、萩焼きですよね?」 手には茶碗。 「はい、よくご存知ですね」 私が返すと、カラスは嬉しそうに言う。 「地元の茶碗なので」 昔から茶人が愛した器として、一楽二萩三唐津という言葉がある。 萩焼きは「萩の七化け」と言って、使えば使うほどその風合いが変わる。 模様も色のバリエーションもない素朴な土色の茶碗だが、茶が細かくひび割れた隙間に染み込んで模様をなしていく様は、面白味があると言える。 カラスは萩市出身なのか。 遠いところからわざわざ来たんだなあ。 ぼんやり思いながらカラスを目に写す。 その視線に気付かないまま、手にした茶碗をひとしきり眺めて、カラスは茶を口にした。 喉仏が上下して、一口茶を飲んだカラスの顔がほっと緩んだ。 あ。 あんな顔もするんだ……。 長めの前髪に隠れた目の表情は窺えない。 けれど僅かに上がった口許に、小さな波紋が広がるようにじんわりと心が暖まる。 美味しいと、思ってくれたのかな。 長くお茶を習っていたわけではない。 私が接客をすることになった際、畑中さんに短期間で教えていただいただけのにわか仕込みだ。 それでも、畑中さんの顔に泥を塗るようなことはしたくなくて、時折機会のある店内での飲食の時には、丁寧な仕事を心掛けてきた。 だからこんな表情に出会えたとき、堪らなく嬉しいと感じる。 この店の看板娘として笑顔を振り撒いていた姉は、立ち居振舞いもお茶の腕前も申し分なかった。 誰もが認める看板娘。 そして、誰もがこの「彩華庵」を担っていくと思っていた。 姉を思い出すと顔を顰めてしまうので、脳裏に湧いた姉の顔を意識的に追いやった。 接客をするようになって二年、少しは私もらしくなってきただろうか。 父の菓子をゆっくり味わって、茶を口にするカラスを見つめた。 「いかがですか?」 カラスは更に頬を緩めた。 「美味しいです。菓子も、このお茶も」 力むことなく、自然にさらりと発せられた言葉に、私の顔も緩んだ。 「よかった」 口に出した後、急激に恥ずかしくなった。 美味しいお茶を出すのは当たり前、これが仕事だし、お代だって頂いてきている。 それなのに。 カラスに言われた一言が今までになく嬉しくて。 緩んだ顔を見られたくなくて、慌ててショーケースの向こう側に戻った。
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