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裏っかわー1ー
珍しく夜中に、しっかりと目が覚めた。
眠りは深い方なので滅多なことでは起きないのだが、何故かこの日は、振り子時計の鳴らす時報と共に、丁度二時に意識が戻った。
シンとした空間に、瓦屋根を叩く雨の音が、パタパタと響く。
柔らかくおこたのような布団の中で、鐘里はぼぅっと浮かび上がる、畳の目ひとつひとつを凝視した。
季節は流れて秋と為ったが、二人は相変わらず、【同居人】として、正しい生活を送り続けていた。
新は客の来ない店の為に菓子を作り、鐘里は食事の支度をして掃除洗濯をする。
何事も無く。
向かい合うことも無く。
べつにいーんだけどねーー、と、思うようにしている。
料理は趣味だし、大好きな人の側に居られるのは何より幸せなことだ。
どの時代でも、恋する乙女にひとつやふたつや三つや四つの悩みはつきものなのだ。
湿った匂いにひとつくしゃみをして、ゴロンと寝返りをうった。
隣に敷かれた布団には、乱れた跡すら無い。
寝室は一つなので、新と布団を並べて寝てはいるものの、未だかつて、彼の寝顔を見たことが無かった。
自分が寝た後に休み、起きる前にはもぬけの殻だからだ。
もちろん触れられたことも無ければ、そんな素振りさえ、見せたことが無い。
女としての自信を無くしてしまう。
そもそも彼は、女に興味が無いのか。
はたまた鐘里だから、手を出さないのか。
そんなことを悶々と考えていた時、ふと、家屋の中に自分以外の人の気配が無いことに気がついた。
「新さん?」
闇の中に声を掛けてみるが、黒ずんだ板張りの壁に言葉が吸い込まれるだけで、返事は無い。
鐘里はごそごそと布団から抜け出した。
夜着に、と義母の希代子から貰った木綿の着物の衿を併せ、弛んでいた帯紐をきゅっと締める。
最初は着方も分からず、右前に衿を併せたりして「死人か」と、よく突っ込まれたりしていたが、何とか寝間着くらいは着られるようになった。
明かりもつけぬまま、ヒタヒタと畳の上を裸足で歩き、手探りで探したつっかけを履いて、ひんやりとした土間に降りる。
店舗の奥にあるガラス戸の向こうから、チョロチョロと雨どいを伝う水の音が聞こえてくる。
寒さの為か、背筋にぞくりと震えが走った。
何度か後ろを振り返りながら、真っ暗な土間を、物に触れ伝いながら歩く。
「新さぁん」
彼が、毎朝小豆を炊いている大釜。
米を炊く土鍋。
鐘里が料理に使う、幾つかのフライパン。
「新さぁん」
土間から外に通じる扉の前には、彼が何時も外出時に履いている黒鼻緒の草履。
出ていっては、いないのか?
「新さぁぁん」
少し大きめの声で、書斎の前から呼び掛ける。
応答は、無い。
風呂。
手洗い場。
低温貯蔵庫。
人が入れそうな所は、くまなく探した。
しかし、夫どころか、猫一匹の気配すら感じることはできなかった。
「新さん…」
もしかして、裸足で出て行ったのだろうか。
暗闇に慣れた目で店舗の方に向かい、ガラスの引き戸に手を掛ける。
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