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ガタンっ
内側から鍵が掛かっている。
鐘里は、がらんとした店先に立ち尽くした。
どういうことだろう。
彼はどこにも行っていない。
だけど此処には居ない。
混乱した頭で、無意識に鍵を開けて軋むガラス戸を開けた。
サー、サー、サー…
辺りを支配する絶え間ない雨の音を聞いていると、どこからともなく湧き上がってきた寂しさが、喉の奥を鋭く突き刺してきた。
誰も、居ない。
無い、無い、無い。
そんなに彼は、自分のことが嫌いだったのだろうか。
独り、置いてきぼりにして消えてしまう程。
街灯に照らされて出来た垂れ柳の細い影が、ぼぅとした脳内に、初めて出会ったあの日のことを思い出させる。
水溜まりに落ちた雫が跳ねて、頬に飛んだ。
それは涙のように頬を伝い、やがて、乾いて消えていった。
ブルブルと頭を振る。
いけない。
このままでは、マイナススパイラルまっしぐらだ。
理由は兎も角、先ずは探さねば。
彼を責め立てるのは、それからでいい。
だって、わたしは妻なんだから。
オーと小さく拳を振り上げると、パチンと両頬を掌で叩き、傘立てにささっていた、いつのものかも誰のものかも分からぬ傘をさして、外へと一歩を踏み出した。
べちゃべちゃと、ぬかるんだ川辺を歩く。
つっかけはすぐに泥水にまみれ、着物の裾はみるみる黒く染まった。
骨が折れていて古い傘は、ちょっとの風で簡単に裏返り、腰まである長い黒髪が徐々にしっとりと濡れそぼっていく。
何時もより早い鱗川の流れを耳に捉えながら、鐘里は石段に足を掛けた。
橋を渡った少し向こうの隣町に、彼の実家ーー希代子の住む家がある。
もしかしたら、彼女なら何か知っているかもしれない。
雨に濡れ、真黒に変色した見慣れた石段を上る。
ーー自分の意思で出て行ったんじゃなかったら、拐われたのかしら。
一歩、又、一歩。
ーーでも、鍵は開いていなかったし。
まさか、いわゆる神隠し?
もう一歩、上の段に足を掛ける。
ーーいや、神隠しなんて、昔話の世界のこと。
一歩、一歩、あと少しで頂上だ。
ーーじゃあ、夜逃げ?経営が行き詰まっての、夜逃げ!?
そして、目の前に朱塗りの鳥居が見え、最後の一段を踏みしめようとした時。
スコン、と。
足場が消えた。
…ような、気がした。
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