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三、二、一、と数えながら、指の跡が赤く浮かび上がる顔を再び上げると、そこには先と変わらず、幅の広い黄色い嘴をパクパク動かす河童のようなものが、デデンと座ってこちらを凝視していた。
見世物小屋にでも迷いこんだのだろうか。
あ、そうだ。
どこかの百貨店のキャンペーンの着ぐるみだ、きっと。
それにしても、よく出来ている。
くすんだ緑色の布や頭上のつるりとした陶器の皿を見ていると、人間と変わらぬ等身の全身緑タイツは、「ヒ、ヒ、ヒ」と、小さな目を細めていやらしく笑った。
「水も滴るイイ女。良い眺めでさぁね」
その舐めるような目付きに、思わず着物の衿を併せる。
「エロ河童」
どんなキャラクター設定で着ぐるみをしているのだ。
ギロリと睨み付けると、河童は心外そうに真黒な鼻の穴を大きくした。
「あっしはエロガッパなんてぇ名前じゃねぇ。カラツっていう立派なんがあるんでさぁ」
「カラツ?そんなゆるキャラ知らないわよ。ちょっと、ジロジロ見ないでくれる?」
「見たって減るもんじゃなし。そもそもあっしはもっと、こう、ボーンと出るとこ出てるようなのが好みで…」
「失礼ねっ!」
足をひとつ、ダン!と踏み出す。
「そんなこと、好きな人ならともかく、初対面の全身緑に言われたくないわよ!」
「情緒不安定な紙っこでさぁね」
河童はお手上げとばかりに肩をすくめ、綺麗に緑色に塗られた顔で、ずぶ濡れの鐘里を見下ろした。
「姐さんは一体、人間にどんな願を掛けられたんで?」
「はいぃ?」
この河童とは、会話が噛み合わない。
「命を果たした紙っこは普通、もっと落ち着いてるんでやんすがねぇ」
不思議そうに首を傾げる、くすんだ緑タイツを見上げる。
ガン、メイ、カミッコ?
何かと勘違いしているのだけはわかる。
しかし。
今、この状況この時点で、鐘里にとっては分からないことが分からない。
首を傾げたいのは、こっちの方だ。
だいたい此処は一体、どこなのだ。
河童は「大正メトロへようこそ」なんて言っていたけど、寒々しいあの和菓子屋とは似ても似つかない。
そもそも、自分は夫を探しに来たのに。
……そうだ。
河童から視線を外し、背筋を伸ばす。
こんなのに構ってる場合じゃない。
もしかしたら、一刻を争う状況かもしれないのに。
彼を、新を探さねば。
気持ちを切り替える為に、鼻から息をしゅっと吐いた時、背後で男の声がした。
「カラツ!」
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