第1章 ゆいいつの、ささえだった

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主任と喧嘩したのは、ちょうど蓮が死んだときと職場の繁忙期が重なった時。 わたしには、一度に物事が三つ以上重なるとパニックになる性質がある。これは、どう対処しても治らなかった障害の特性のひとつだった。 他の聴覚過敏はなんとかなったが、これだけはどうにもならなかった。 だが職場は「これはどうしようもないことだからあなたが受け入れなければならない」と言って改善してくれなかった。 職場で、毎日パニックが何回も何回も起きた。 そのたびに、叱られた。 現場で工夫しても『みっつ同時に』は根本的に解決しなかった。それが、五年続いた。 ストレスからか聴覚過敏が酷くなり、パニックはフリーズになった。毎日辛くて辛くて、食事がとれなくなったときも「職場のひとを心配させるな!」とワーカーさんに叱られた。 わたし、なんのためにいきてるの? 苦手なことを克服できるはずって言われても、それが出来なくて苦しいの。何度も言っても、理解してもらえない。にこにこして、すみません、はいわかりました以外は必要ない職場。
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