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地元は、小さな町だった。
中学生の頃から、都会に出ることに強く憧れていた。
高校生の頃、母は都会に出ることに反対し、地元で就職するよう勧めてきた。
高校3年の春、母の反対を押し切って、大きな街にある大学に進学することを決めた。
志望校に合格し、高校卒業後、地元の小さな町を離れて、大きな街に出た。
夢に見た都会での暮らしは何もかもが新鮮で。
一人暮らしも、友達と遊ぶことも、お洒落をすることも。
一つだけ、新鮮ではないことがあった。
実は、物心がついた時からの幼なじみ、亮平も同じ大学に入学していた。
しかし、何もかもが新鮮で、ときどき息苦しさを感じていたあたしにとって、亮平が側にいることは、ありがたかった。
都会に出てから、5ヶ月が経った。
あたしは、一度も実家に帰っていなかった。
大学受験を決めて以来の、母との確執を、引きずっていたためだ。
ーああ、それから…。
帰りたくない原因は、もう一つあるのだった。
あたしには、誰かの記憶がない。
多分、大切な人だった。
たまに見える記憶の断片で出てくる少年。
曖昧で、顔もよくわからない。
だが、彼はいつも泣いている。
あたしは、わかっていた。
地元に帰れば、彼に関する記憶がつかめるかもしれない、ということを。
その一方で、あたしはその記憶を取り戻したくない、と願ってしまうのだった。
これは、あくまで推測だけれど。
…きっと、その記憶は、悲しいものであるから。
「これから台風が来るだなんて信じられないわ」
裏の林から聞こえてくる、蝉の大合唱。
八月も終盤だというのに、相変わらず、うだるような暑さが続く。
「こんなに晴れているのに」
灼熱の太陽がじりじりとアスファルトを照らしつけ、陽炎が細く揺らめいていた。
しばらくの沈黙の末、亮平は話を切り出した。
「…蛍」
「何よ」
「あの町に、一度戻らないか?」
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