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「お腹をすかせてるわ、早く行ってやらなくちゃ。後生だから!」
「私は、父親だ」
「違う!」彼女は叫んだ。
「あの子の親は私だわ! 誰にも――渡さない!!」
「茉莉花」
「なれなれしく名を呼ばないで!」
掴んでいた手を振り払い、彼女はするりと慎から身を離す。
まるで雌猫だ。仔猫を守ろうと全身を逆立てて威嚇する。自分よりも何倍も身体が大きい人間にも全力で挑もうとする小さな生き物。母の本能は他者を圧倒する。それと同じ気迫が彼女にはあった。近寄らせるものか、守ってみせると。
しかし、それは慎にも言えること。
自分も当事者だ、蚊帳の外に置かれるのはたまらない。
「子供の時は短い、少しでも多く、長く過ごしたいと願うのは、私のわがままなのか?」
「慎さん、私たちは人の道に反しているのよ」
「ならば認めるのだな、赤ん坊は私の息子だと」
彼女は慎から視線をそらさず唇を噛んだ。せいいっぱいの強がりだ。
「言ったはずだ、全てを引き受けると。信じてくれないのか」
赤ん坊の泣き声は変わらず続いていた。人の心をかき乱す切ない声は力なく枯れていく。
「会いたいなら――信じさせたいなら本気を見せて」
「本気?」
彼女は声に涙を含ませて言う。
「覚えているかしら。赤いダイヤモンドの指輪。あなたに預けたわ。今となっては祖母の形見になってしまったの。返して。それと――高遠家の長男よ。あの子に相応しい贈り物を。正絹にレースをあしらったベビードレスがいいわ。半端な物では許しません。ふたつとも揃えて持って来れたら会わせてあげる。それまでは会うことも、指一本触れさせることもしない」
がらりと開いたガラス戸から、泣き声が一散に降ってきた。
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