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自分は、妻子との間に1枚壁を置いたようになった家族の間をさらに広げ、溝を掘り、その上新たな関係も結んだ。
時計が針を進める音すら聞こえそうな夜だ。気が重い。
ため息にもならない息を継ぎ、背広を脱ごうとした時、玄関の引き戸が激しく叩かれた。
背広の襟に指を当てたまま動けない彼への助け船だ。しかし、この叩かれ方は異様だった。客はいつも唐突に来るが、これは不穏な空気を運ぶ案内人そのものだ。
慎と房江はお互いに目を見交わして緊張する。街灯の灯りを受け、ガラス戸の向こうに立つ人影は大きくない。
戸惑う妻を手で制して慎は玄関先に立った。
がしゃがしゃと戸を叩きながら客は言った。
「慎君!」
武だ。頬が引き攣れて口の内側が痛んだ。
彼とも気まずいどころではない別れ方をしたところなのに。しかし、今頃は病院の妻の元にいるはずだが。
何があった。
事務員が作っていた渋い表情が脳裏をかすめる。
引き戸を開けた先にいたのは、やはり武だった。明らかに取り乱して肩で息をし、目ばかりが光を放っている。少なくとも慎が知る中にはない、初めて見る姿だった。
明らかに怯え、しかし断固とした決意を込めて、武は慎のほうへ両手を差し出す。
「くれ!」
慎は口をぽかんと開けて武を見返す。
「君の子供を、僕にくれ!」
彼は何を言っている?
たっぷり二拍も三拍も間を開けてやっと口にできたのは「無茶を言うな」だった。
「人間の子供は犬猫のようにくれてやるわけにはいかない、少し落ち着きたまえ」
「僕は落ち着いているよ」
動転する者ほど決まってこう言う。
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