いち

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「なにを弾こうか」 決めて欲しいのだ、私は。 何もかも全て、自分の判断で決まらないように、恐る恐る、「お願いします」を差し出す 「そう、だね。君の好きなものでいいよ。僕、聞いてみたいな。君の好きな、君の音色。」 ほんわりとじんわりと、じりじりと熱くなる頬が、まだ私は私だと言ってくれている。高鳴っていく鼓動を奥歯に噛み締めながら、指先まで意識した臆病さを表現する。 彼が少し笑っているのが見える。口の端が綺麗につり上がっていて、彼はこの瞬間を喜んでいてくれているのだと実感する。 「苦しかったのよ」 「しってる」 「しっていたの?私は、私なのよ」 「ん?ふふ、よくわからないな」 「私もよく、わからない。わからないでいたいよ」 なんの気負いもなく、もたれかかれる空気が二人を包んでいる。彼がめくっているページには、ぎっしりと字が詰まっている。これだけの文字を生み出すのに、どれだけ時間がかかっただろう。そして、その生み出した文字達を、私はどれだけ迎えに行くことができるのだろう。そう考えると、途方もない事だ。長いのだ。とても、とても。 「...わからないでいいことにするなら、僕からは言えないな」 「こわいのよ。」 しってしまうことが。近くなってしまうことで、遠くなってしまうことが。 「僕に触ってみて」 「...いや」 「どうして」 嚥下の音をさせないように、そっと空気に気を撒き散らす。見せないように。 何を? 「知りたくないのよ」 「好きにしていいって言っても?」 「どうしてあなたは私を大事にするのよ。大事にされるほど、期待しちゃうじゃないのよ。すればするほど、裏切るくせに。もう、何も知らない子供じゃない。だから、もう知りたくないのよ、一番好きなあなたに嫌われたくないの、だから知りたくない、触ったら傷つくから」 穏やかな瞳だった。彼は何も言わずに、腰を上げた。そのまま、無言でドアを閉めて出て行ってしまった。 私は、裏返しすぎた。複雑にしすぎて、絡まったのだ。心の中の絡まったコードがほどけた瞬間に、私の気持ちは清々しくもあった。でも、その本当の気持ちを向けたかったはずの彼がいない。
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