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ろく
百万回の間接キス
遠くで悲鳴が聞こえる
目を開ければ、気だるい妄想に取り付かれた頭を叩き割るような電子音が、殺風景な白壁の部屋に鳴り響いていた
「...起きて」
昨日まであれほど憧れた恋人になれたのだ。優しく声と一緒に、温かくて大きい掌がわたしの頭を撫でる。
「朝ごはん、食べよう。先に顔洗っておいでよ、ああ、別に隠さなくてもいいじゃない。あはは、大丈夫、君は化粧いらずの美人だよ」
憧れの存在だった彼が今、目の前で寝起きの私の姿を見てもなお甘い言葉を囁いた。
私の腹部の奥の方で、もやもやとした塊が意味もなく右往左往していく。パンチでもキックでもして退治したいが、いかんせん自分の体の「中」だ。
洗面所で見た自分の顔は、こんなに重大な変化があったにもかかわらず、昨日の朝起きぬけで髪もボサボサのださい自分のままだった。
プラトニックな恋愛だと思っていた
なんて、ただの独りよがりだ。
「トースト焼いたから一緒に食べよう。君は、普段何を載せるの?僕はいつもバターと、たまにハムを載せたりするよ」
無邪気にも飾らない姿の、これからもっと知っていくであろう、この人の日常生活。
それを今一瞬にしてひとつ知った。
「あ、もしかして朝はパン食べないの?ごめんね、お米はうちにはないから今日はこっちでもいいかな。今度一緒に朝ごはん食べるときはちゃんと用意しておくね。あ、でもどうやって炊くかしらないや」
憧れの大きい背中、魅力的な瞳、色素の薄くて細いサラサラの髪、大きくて少し曲がった鼻、白い陶器みたいな肌。
近くで見なければわからなかった顔のほくろや首のキズ、体毛の生えてる位置なんかも、昨日、知ったのだ。
「僕、外国の子と付き合うの初めてだから、なんだか新鮮だなぁ。知らないこと、お互いのことだけじゃなくて色々出てくると思うけど、僕ちゃんと勉強するね。」
そうやって、近づいてきてくれる。憧れが恋になったと確信する
はずなのに、なんか、手が届かないような気がして、泣けるのだ。
自分のことなのにわからない。
それがとてつもなく不安定で、夜の海みたいに、底の見えない暗闇が目の前でゆらめいている。
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