アイアランドとシニスターの紋章

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アイアランドとシニスターの紋章

 シェイクスピアの時代、人々の人気に反して劇団や役者の地位は著しく低かった。劇作家については、書いたものは一作につき幾らと劇団が買い取るのが通例で、そこに著作権は存在していなかった。シェイクスピアの草稿が残っていないのもこういった背景がある為と言われている。  シェイクスピアの人気熱は衰えることなく時代は進み、やがて専門家によって作品の編纂が行われていく。そんな中にウィリアム・ヘンリー・アイアランド(1775―1835)は現れる。  彼の周到に造られた贋作品は世間から本物だと広く信じられた一方、専門家はしきりにアイアランドは贋作者であることを指摘する。加えて、偽物とわかっていてもあえて騙されて楽しむという風潮が当時にはあり、それが一層に世間の話題性を呼んでアイアランド熱が引くことはなかった。  しかし、贋作が紋章にまで及ぶとなると、そこは厳格な規律のある紋章の国である。話題のタネとして黙認されるようなことはない。  複数の紋章を書面に並べて描く場合、ドイツなどの諸外国では視覚的なバランスを考慮して図形を向かい合わせにすることがある。アイアランドがシェイクスピアの紋章をシニスターにしたのも、それらしい箔をつけたかった為と言われている。  けれど、イギリスにこの慣習がないことが彼にとって命取りとなる。
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