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「君は、朝顔の君だね」
「え、え?」
「その、刺繍」
からかうように言われて、わたしははっとして、ネクタイをきゅ、と握り締めた。
「この前、それ、落としたでしょう」
彼は、滑らかに、歌うように喋る。いや、喋る、というよりは、詠っている。
「それね、俺が拾ったの。中等部では今そういうのが流行ってるの?」
「い、いえ。これは……」
「良くできてるなあ、と思ってね。朝顔の君、どんなだろうと思っていたんだ」
「はあ……」
それで、私は及第点ですか? と聞く度胸は、わたしにはもちろんなかった。わたしはこの不思議な風流人に、心を盗まれた。
「おいで」
彼が伸ばした手に、手を重ねてしまったのは、彼のかんばせよりも、その仕草があまりに美しかったからに違いなかった。
そうして、わたしは夢のヤコブ館に初めて足を踏み入れた。
寮は、夢の城にしては、味気なかった。わたしはきょろきょろする暇もなく、殆ど抱きすくめられる形で、彼の部屋に押し込まれた。
そこは三人程の生徒の共同部屋だった。十二畳ほどの部屋にベッドと机が所狭しと並んでいる。そのうちの一つにわたしは導かれ、気付くと組み敷かれていた。
「あのっ……」
事態を把握するより早く、彼の顔はわたしの首筋に埋まっていた。ぬるりとした温度が首を這う。
「ッぁ……や、やめッ……」
彼の冷たい指が、唇に触れる。
黙れ、という示唆。
その指が、ゆっくりと唇をなぞる。唇は圧力に負けて、ふにふにと撫でられた。首筋に、ちり、とした痛みを感じた。ぞくぞくしたものが、体中を麻痺させる。
こんなの、初めて。くすぐったくて、やめて欲しくて、でももっと感じていたい、これが、快感というものだろうか。
わたしは彼を感じている自分を厭らしい、と思った。こんなの、不純だ。
「嫌!」
「嫌?」
一瞬、彼の瞳が虚ろいだ。傷つけられたように、無防備に。しかし次の瞬間には、もうそこに好奇の色を映していた。
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