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「――と、言ってはみたものの」
時空干渉探究会社の前に立って、俺は逡巡していた。建物の名前が大きく書かれた扉は重々しく、戯れに訪れる人間を固辞しているかのように見える――というのは、後ろめたいところがある俺の妄想だろうか。
(帰ろうかな)
考えてみれば、従兄には『行ってみる』とだけ答えたのだ。『訪ねる』とは言っていない。そして俺は今、まさに『来た』のだ。有言実行ではないか。
「よし、帰ろう」
くるりと背を向ける。その拍子に、玄関に置かれていたマットを踏みつけた。
コケコッコー。鋭いニワトリの声が響き渡った。
「うえっ!?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。どうやら、マットを踏むと音が出る仕掛けが施されていたらしい。クリーニング店や美容院なんかで時々お目にかかるあれだ。
『職員が参ります。お待ちください。職員が参ります。お待ちください』
追い打ちをかけるように、インターホンから音声が流れてくる。いやいや、お待ちしませんって。心の中でそう叫んで、今度こそ俺は建物に背を向けた。
その時だった。
「……あなた、背中でしゃべるの」
不機嫌そうな声が俺を立ち止まらせた。日曜の朝は、およそ人は不機嫌なものなのか。まあ、特にこの職員は休日を捧げて仕事をしているのだろうから、それも仕方がないのかもしれないが。
「まさか」
「じゃあ、こっちを向いてくれません?」
言われて俺は、恐る恐る身体の向きを直した。ちらり、と相手の方に目をやる。そして思わず、まじまじとその顔を見つめてしまった。
女性だ。予想に反して、かなり若い。俺とあまり年が変わらないのではないか。そんな事を考えていると、相手の眉間のしわが一段深くなった。
「……あなた、テレパシストか何かですか」
また不機嫌そうに問われて、俺はハッと我に返った。
「いえ、まさか、そういうわけじゃ」
「言葉でコミュニケーションをとるんですね。じゃあ、口を動かしてもらえませんか」
「あ、ああ」
つまり、黙っていないで話せと言われているのだ。尤もな要望だとは思ったが、度重なる衝撃に打ちのめされていた俺は、とっさに気の利いた言葉を口にすることができなかった。
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