第1章

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 二〇〇六年七月、ひらつか七夕祭りの絢爛豪華な装飾をぼんやりと眺めながら、僕、京堂宏樹は自宅マンションへと歩を進めていた。途中でキャスターの七ミリに火をつける。キャスターシリーズの中で、仄かなバニラ香が最も心地良い七ミリは、学生時代から愛用している。   僕は産業機器を取り扱う中堅どころの商社に勤め、法人営業をしている。神奈川県平塚営業所。事務員一名を含め総勢五名の小所帯だ。新卒入社したのが二〇〇四年なので、今はもう三年目になる。この日は帰宅後、ベッドに横たわり、今までの出来事を回想していた。   ―――――――    入社初年度は、業務が終わると寄り道もせず帰宅し、ビジネス書やビジネス雑誌、小説、新書などを通読。また、週末には異業種交流会に出席し、それなりに有意義な毎日を過ごしていた。今で言う、意識の高い新人とでも呼べただろうか。何にせよ、日々充実し楽しかったことに違いはない。本社からも、毎週定期的に応援やアドバイスのメールが届いていた。  しかし、培ってきた向上心の芽は、その後一年半を待たずして、脆くも枯れ果てた。毎週月曜日に決まって開催される、主に上司の自慢話や会社本部への不平不満を聞かされるために参加を強いられる飲み会。酒が入っているにも関わらず営業者を運転して帰る先輩社員。会議の結果担当として半ば押し付けられた、例えるなら不良債権としか呼べそうもない多数の顧客。更には、伸び悩み始めた営業成績。本社からの定期メールも、ぷつりと途絶えてしまっていた。不安と不満と鬱屈が、まるで赤黒い腫れ物のように、日々膨らみ続けては止むことがなかった。    このような状況に疲れたのか、いつしか生活は荒んでいった。読書量は激減し、仕事帰りにはショットバーで大量の酒を飲み、自宅に戻ってからも酒を呷り、深夜までネットゲームに耽溺するようになっていた。劣悪な日々に陥っている自覚は、かろうじて残っている。それでも、行き場のない落胆や失望が、荒廃した心に歯止めをかける機会を許さない。    そうなれば当然、業務や勤務態度にも影響が出る。  入社二年目、盆休み前、先輩社員にあたる黒須真也と口論になった。仕入れ発注書の不備が発端である。営業所内には二人を残して誰もいない。 「おい、京堂。この発注書のポンプ、西日本納入だから六〇ヘルツだろ。お前何五〇ヘルツって書いてるんだ!?」
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